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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:最終列車に乗って(前橋育英高・松岡迅)

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前橋育英高CB松岡迅(右)は、インターハイで青森山田高相手に好守を見せた

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 以前のままだったら“最終列車”には乗り遅れていたかもしれない。あるいは、それが来ていることに、気付くことすらできなかったのではないだろうか。だが、周囲の助けもあって、彼はそれへと乗り込むことに成功した。「やっとサッカーに前向きになって、サッカーをしっかり考えるようになって、そのためにどうしたらいいかを基準に生活するようになりました。自分を変えることができて良かったです」。日本一を狙う上州のタイガー軍団へ、突然現れたセンターバック。松岡迅を乗せた“最終列車”は想像もしなかったスピードで加速しながら、ようやく定まった目的地へと彼を運びつつある。

 それはおそらくラストチャンスに近い位置付けだった。7月13日。プリンスリーグ関東第10節。このステージで実現する新・群馬クラシコ。桐生一高と前橋育英高の一戦は、お互いの意地と意地が激しくぶつかり合う好ゲームとなり、2-1と桐生一がリードして前半の45分間が終了する。

 ビハインドの状況で迎えたハーフタイム。山田耕介監督が動いた。2枚替えの1枚として交替用紙に書き込まれたのは、今までほとんど公式戦の出場機会がなかった50番。前所属の“吉岡中”という文字列に目が留まる。185cmと堂々たる体躯を誇る松岡迅は「ここでやってやろう」と並々ならぬ意気込みを携えて、ピッチへ走り出す。

 相手の最前線で待ち受けるは若月大和。U-17日本代表のエースでもあり、既に湘南ベルマーレの一員としてJ1でもプレーしている逸材。桐生一の最重要人物だ。ただ、松岡はその対峙に自身の存在意義を見い出す。「あの選手が桐一でも、群馬県でもトップの選手なので、『その選手を止めれば自分も目立てるんじゃないか』という気持ちはあって、『やってやろう』と思っていました」。

 バチバチと音の鳴るようなマッチアップを、2人は繰り広げる。松岡も、若月も、一歩も退かない。結果的には前橋育英が追い付いて2-2で終了したものの、45分間で50番は小さくないインパクトを残す。試合後。山田監督は途中出場のセンターバックについて、こう口にした。「今日見たら十分行けるかなと思いましたね。若月にぶっちぎられるかなと思ったけど、バチーンって潰せていたし、青森山田はガチガチ来るらしいから、そうなるとやっぱり松岡が必要になってくるのかなって」。2週間後に迫る全国総体(インターハイ)を前にした最後の公式戦。松岡はほとんど出発し掛けていた“最終列車”に、ギリギリで飛び乗った手応えを感じていた。

 小学校時代は群馬県内でも有数の強豪として知られるファナティコスに在籍し、全日本少年サッカー大会も経験していた松岡だったが、チームメイトの大半がクラブでのプレーを決断する中で、「選択肢は何個かあったんですけど、『自分の力で、地元の中学で勝ちたい』という想いがあったので」進学する吉岡中サッカー部への入部を決める。

「『自分が引っ張って行こう』という気持ちは最初からありました」と話す松岡は、3年時に出場した全国大会でベスト4まで勝ち進む。最後は武田英寿や藤原優大を擁した青森山田中に敗れたものの、大会優秀選手にも選出されるなど、個人としての評価も獲得してみせる。

 中学卒業後は健大高崎高への進学を希望していた中で、その冬にテレビで見たタイガー軍団の躍動に目を奪われる。「選手権を見て『やっぱり育英カッコいいな』『あの舞台に立ちたいな』と思ったんです」。全国の決勝まで勝ち上がったチームへの憧れには抗えない。針路転換。推薦試験にも合格し、大きな希望を抱いて前橋育英高校へと入学することになった。

 1年時から能力の高さは周囲も認めていたものの、彼の成長にはいくつかの阻害要因があったという。今シーズンのキャプテンを務めている渡邉綾平は、苦笑交じりに当時を思い出す。「高校に入ってから『誰が後ろで中心になっていくのかな』と考えた時に、正直迅というのは一番頭にあったんですけど、アイツはケガとかサボり癖とかがあったんですよね」。渡邉の回想は続く。「いきなり練習前に音信不通になって、『今日、迅いなくね?』みたいな中で何とか連絡が取れたら『腹痛いから帰った』って(笑) サッカー面では凄かったですけど、やることも凄かったんです」。

 キャプテンの言葉を伝えられた本人も素直に認める。「1,2年の頃は自分の性格が曲がっていたというか… 『最終的にはトップに上がれるかな』みたいな軽い気持ちでやっていたのかなと。そんなんじゃ本当はダメなんですけど、今みたいに自主練も突き詰めてできていなかったですね。ケガが多くて、心が折れちゃって、チームに迷惑を掛けていたと思います」。目の前の日常と、あの日に見たテレビの中の世界は結び付かない。気付けばほとんどAチームにも絡むことはないまま、最上級生としての1年へと突入していく。

 そんな彼を辛抱強く見守っていたのが、Bチームで指導に当たる櫻井勉コーチだ。「県1部リーグでずっと櫻井さんの元でやらせてもらっていて、練習が終わった後とかでも個人的に話してくれたり、自分と向き合ってくれていましたし、『何のために育英に来たんだ?』とか、そういうことを言われて、『やらなきゃな』という感じで、そこでスイッチが入った所はありました」。

 新人戦はケガで欠場。春先のプーマカップでは、ようやくAチームでスタメン出場の機会を得たものの、定位置を確保するまでには至らない。5月にBチームの一員として臨んだ県総体(関東大会予選)も「あまり良くなかったですし、結果も出なかった」と本人。総体(インターハイ)予選こそメンバーに入りながら、試合出場はなし。自分の中で意識や取り組みの変化は実感していたが、その成果を確認する場は訪れないまま、群馬の暑い夏が始まろうとしていた時期に、冒頭で触れたチャンスが突然舞い込んできた。45分間のラストチャンス。若月という強敵とのマッチアップで、周囲の評価と自身の手応えを携えて飛び乗った“最終列車”の線路は、沖縄の地へと続いていく。

 7月26日。全国総体1回戦。大会屈指の好カードと称された青森山田とのビッグマッチ。5番を背負った松岡は先発メンバーに名前を連ねる。何とAチームが戦う公式戦でのスタメンは3年間で初めて。相手は高円宮杯プレミアリーグEASTでも首位を快走する、この時点での高校最強チームだったが、「トップの試合とか出て自信は付いていたので、緊張はあまりしていなかった」そうだ。

 開始2分でいきなり失点を喫する展開の中で、5番は自分にできることを1つ1つこなしていく。頭で跳ね返し、激しく体を寄せ、相手に自由を与えない。ボールは支配しながら、決定的なシーンは創り切れず、逆に後半のアディショナルタイムに追加点を奪われ、ゲームは0-2で敗れはしたが、松岡は70分間フル出場。金賢祐に田中翔太とフィジカルに定評のあるフォワードとのマッチアップにも、決して屈しないプレーが印象に残った。

 改めてそのゲームの記憶を尋ねると、「個人としてはファーストボールをしっかり跳ね返せたんですけど、セカンドを拾われて、そこから攻撃に繋げられる場面も多くて、難しいゲームでした」と話しながら、言葉はもう少し続く「でも、やれない訳ではないと思いました。自分の力量は把握できたので、自信にはなりました」。キャプテンの渡邉も「正直チームの中で、一番ポテンシャルはヤバいと思います」と評したセンターバックは、あの日に見たテレビの中で、憧れのタイガー軍団が大敗を突き付けられたのと同じ相手と対戦し、ようやくその持てる力を十全に解き放ったのだ。

“最終列車”の線路は一気に石川へとコースを変える。全国から並み居る強豪が集う『和倉ユース大会』。ここで松岡はさらに自身の評価を高めていく。プレミアに在籍するJクラブユース勢や高体連の名門校とのゲームでも存在感を放つと、チームも主力を負傷で欠きながらも見事に大会制覇を果たし、松岡も大会MVPを獲得。なかなか届かなかったAチームでの定位置を、一気に自らの手元へ手繰り寄せた。

「半年前からは、自分がAチームのピッチに立っている姿もあまり想像できなかったです。性格も変わった気がしますね」。この短期間での立ち位置の変化を、松岡はそう表現する。それでも、その状況を呼び込めた一番の理由は、周囲が自分を諦めずに自分の存在を気にし続けてくれたことだ。

「アイツに声を掛け続けたので、それは本当に良かったと思っていますし、今はチームのために何が必要なのかとか凄く考えて動いていますし、迅自身もそういう所は本当に変わってくれたなと思います」と笑うキャプテンの渡邉。「正直3年生は個性が強すぎてまとめるのが大変ですけど、やりがいは感じますね」と話す、チームの精神的支柱の役割を果たす部長の久林隆祐。Bチームでの日常にモチベーションを与え続けてくれた櫻井コーチ。そして、公式戦に起用する決断を下した山田監督。他にも多くの仲間が自分を信じ、見守ってきてくれた。

 そして、最も忘れてはいけない存在に松岡は言及する。「親も自分の性格や行動は気にしていた部分だと思うので、あまり自分には言わないですけど、『変わってくれた』と思っているかもしれないです」。苦しい2年半余りの時間を陰で支え続けてくれた家族への感謝を、仲間への感謝を胸に秘め、黄色と黒のユニフォームに袖を通すことを許された18歳は、集大成の時へと歩みを進めていく。

 沖縄や石川を通ってきた線路の行き先はとっくに理解している。「選手権も始まるので、ここからチームも個人もレベルアップして、最終的には全国の頂点に立てるようにしたいです」。頂点をもぎ取るための舞台は、あえて言うまでもないだろう。松岡をこの学校へと導くきっかけになったあの日、テレビの中の“先輩たち”が走っていたスタジアムのピッチが、最後の最後で飛び乗った“最終列車”の終着駅。今の彼はそこへと辿り着くための資格を、間違いなく有している。

 以前のままだったら“最終列車”には乗り遅れていたかもしれない。あるいは、それが来ていることに、気付くことすらできなかったのではないだろうか。だが、周囲の助けもあって、彼はそれへと乗り込むことに成功した。「やっとサッカーに前向きになって、サッカーをしっかり考えるようになって、そのためにどうしたらいいかを基準に生活するようになりました。自分を変えることができて良かったです」。日本一を狙う上州のタイガー軍団へ、突然現れたセンターバック。松岡迅を乗せた“最終列車”は想像もしなかったスピードで加速しながら、ようやく定まった目的地へと彼を運びつつある。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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