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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:ラストゲーム(都立東久留米総合高)

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(写真協力=高校サッカー年鑑)

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 衝撃的な40分間がようやく終わった。絶望に近い感情が空色の彼らを駆け巡る。「『これは後半で“8失点”あるな』と思っていました」と正直な心情を打ち明けるのは加藤悠監督。「オレがキャプテンマークを巻いたからにはやるしかないのに、3失点というのがただただ情けなかったです」と語った岩田蓮太は、もう泣いていた。スコアは0-3。西が丘のスタンドから送られていた歓声は、ことごとく溜息に変わる。少なくともこの時点で、東久留米総合高に何かが起きる雰囲気は微塵もなかった。

 新チームの立ち上げは昨年11月。選手権予選の早期敗退を受け、東久留米総合にしては珍しい新人戦が彼らの出発点となる。ただ、自らの学校に人工芝のグラウンドを有しているにもかかわらず、土のグラウンドからこの代の公式戦はスタートした。その事実を加藤監督は“映像”で知る。

「ウチのグラウンドがその時期からコーチライセンス講習会の会場になるんですよ。その時の僕はまだ続いていたリーグ戦のベンチに入っていて、新人戦は違うコーチに指揮を執ってもらって、家にiPadを持って帰って映像を見た時に、東久留米総合の空色のユニフォームが“土”で公式戦を戦っていたんです。今までの歴史がある中で、あのユニフォームがドロドロになっているのを見て、『やってしまったな』という想いと、それでも一生懸命やっている選手たちの映像を見て、本当にここから這い上がらなくてはいけないと思ったんです」。

 そもそも“最弱”と言われてきた代でもある。「入学当初から自分たちの代は『弱い弱い』と言われ続けてきて、それが悔しくてみんな頑張っていたので、『自分たちの代になったらどんなに苦しい試合になっても勝つぞ』みたいな気持ちは持っていましたね」。柳田晃陽は苦笑しながら心の内を明かす。

 指揮官は「『“最弱”って誰が言ったんだ』って僕は言っていて。彼らは僕が言ったって言うんですけど(笑)」と前置きしながら、言葉を続ける。「1つの指標は毎年やっているフィジカルの客観的な数値だったんです。それを見た時に歴代でも圧倒的に低くて。ハッパをかける意味でも『努力しないといけないぞ』と最初の方で言ったので、そのことなのかなあ…」。その意味を差し引いても、決して大きな期待を背負ってきた訳ではない背景は窺える。

 それでも、関東大会予選では見事にファイナリストとなり、本大会への出場権を獲得。チームは大きな自信を得たはずだったが、続く総体予選ではシード権を得て迎えた初戦の準々決勝で駒澤大高に0-3の完敗。以降のリーグ戦でもなかなか勝ち星が付いてこない。「チーム自体の雰囲気もあまり良くなかったので、その時はちょっとキツかったですね」とその頃を思い出すのは絶対的なキャプテンの下田将太郎。グループはバラバラになり掛けていた。

 決定的なダメージを負ったのは、この代で臨む最後の公式戦となる選手権予選の少し前。「選手権が近付く1か月前のリーグ戦で8失点して、選手権直前のリーグ戦でまた8失点して、もう本当に自信を失い掛けていて…」(加藤監督)。ところが、逆にこのショックが彼らの迷いを吹っ切らせる。「今まで立ち位置を取って、相手を見てプレーする練習を一生懸命したけど、もう最後は勝ちに行く大会だから、『粘り全面で行こう』と。『強度を前面に出していこうな』と」指揮官も腹を括る。確かな勝算はなかったが、選手たちも腹を括る。

 効果はてきめんに現れた。1-0。1-0。1-0。1-0。耐えて、耐えて、蜂の一刺し。4試合連続の“ウノゼロ”で選手権予選の東京を力強く制してみせる。「ハードワークしなきゃ勝てないとか、体を張らなきゃいけないというのを1人1人が実感し始めて、それで練習から強度も上がってきたので、そこからちょっと良くなり始めた所はあります」とは下田。あるいは彼らが望んだ内容ではなかったかもしれないが、結果が出ている以上は信じるほかにない。2度の“8失点”を喫した集団が、いつしか“堅守”のチームと呼ばれるようになっていくのだから、サッカーは面白い。

 12月31日。味の素フィールド西が丘。東久留米総合にとって8年ぶりとなる全国大会が幕を開ける。相手は滋賀県代表の草津東高。スタンドは応援団を含めて“空色”に染め抜かれる。圧倒的なホーム感を醸し出すスタジアムは、しかし試合がスタートすると、少しずつ重い空気に包まれていく。

 すべての始まりはわずか開始4分。オフサイドフラッグが上がったものの、主審はプレー続行を促したことで生まれた一瞬のスキを突かれ、東久留米総合は先制点を許すが、むしろ予選を通じて初めて奪われた失点より、遥かに大きなショックがチームに広がる。相手フォワードとの接触で右足を痛めた下田が負傷退場。早くも鈴木亜藍との交替を余儀なくされる。

「将太郎がいなくなったことで、精神的な面でショックを受けてしまいました」と素直に振り返るのはボランチの足立真。19分にはコーナーキックからオウンゴールという形で2失点目を献上し、31分にもファインゴールを叩き込まれて早くも3失点目。「みんなの動揺があって、失点してから立て直せなかったですし、『これはどこかで落ち着かせないとズルズル行くな』と思っていました」と話すのは柳田。何をやっても、事態は一向に好転しない。

 衝撃的な40分間がようやく終わった。絶望に近い感情が空色の彼らを駆け巡る。「『これは後半で“8失点”あるな』と思っていました」と正直な心情を打ち明けるのは加藤監督。「オレがキャプテンマークを巻いたからにはやるしかないのに、3失点というのがただただ情けなかったです」と語った岩田は、もう泣いていた。スコアは0-3。西が丘のスタンドから送られていた歓声は、ことごとく溜息に変わる。少なくともこの時点で、東久留米総合に何かが起きる雰囲気は微塵もなかった。

 岩田は“遅れてきた”選手だった。Aチームに定着したのは夏過ぎから。そもそも総体予選が終わったタイミングで“引退”も考えていたが、同校サッカー部のOBでもある兄に励まされて“現役続行”を決意すると、偶然2人のセンターバックが相次いで負傷したタイミングで練習試合に起用され、そこでゴールを奪ってからレギュラーを獲得したような経緯を持つ。

 鈴木も決して順調な3年間を歩んできた選手ではなかった。岩田同様に夏前までは下のカテゴリーでプレーしていたため、関東大会も経験していない。Aチームに上がってからも出場機会はなかなか訪れず、選手権予選も出場したのは初戦のラスト5分だけ。「チームが勝っていったことは嬉しいんですけど、ベンチで悔しい気持ち、歯がゆい気持ちでいました」と本心を打ち明ける。

 松山はある時期、チームの雰囲気を壊し掛けていた。間違いなく今年の代の得点源ではあったが、ハードワークができずに周囲のイライラが募る。特に下田とは何度も衝突を繰り返し、一時は険悪な関係に陥ったという。それでも、選手権が近付くにつれて「みんなに言われて、さすがにやらなきゃと思って」守備でも献身的なプレーを出せるようになり、結果として準々決勝と準決勝でゴールを記録。下田も「自然と自分が言う回数が少なくなってきています」とその変化を認めていた。

 柳田にはチームメイトに救われた試合がある。選手権予選準々決勝。スタメンリストにいつも記されている彼の名前が見当たらない。その週の練習中に脳震盪を起こしたため、大事な一戦の欠場を余儀なくされた。勝利の瞬間。人目をはばからず涙を流し、仲間からイジられていた男は「みんなに準決勝に連れて行ってもらった時に、『結果で示したいな』と思っていたんですけど結果を出せなくて、決勝も結果を出せなくて、そこから1か月間もどかしい気持ちをずっと持っていた」そうだ。

 誰もがこの3年間で様々な成功と挫折を繰り返し、ようやくこの晴れ舞台まで辿り着いた。こんな形で高校サッカーが終わっていい訳がない。無念の退場を強いられた下田が仲間に語り掛ける。「もう下を向かないで、楽しんでやろう」「このまま終わったらもったいない」。空色のイレブンにスイッチが入った。

 後半13分。この日も松山がゴールネットを揺らす。「将太郎はいつも僕に怒っていましたけど、いなくなったらいなくなったで『頼もしい人がいないな』みたいな感じでした。やっぱり将太郎の存在はかなり大きかったんだなと思います」と口にしたストライカーが一仕事。1-3。スタジアムの空気が変わる。

 24分。今度は松山に続いて、柳田が得点を奪う。「ハーフタイムにもう一度スタンドを見て、出られなくて悔しい人たちがいるので、出ている自分がこんなプレーをしていて申し訳ないなと思って、気持ちを入れ直しました」と話すフォワードの一撃。もはや西が丘は完全に東久留米総合の“ホーム”となる。

 鈴木は苦しくなったら、空色のスタンドを見つめていた。「僕は最後の半年ぐらいでやっとAチームに上がったので、スタンドにいたのは2年半ぐらいずっと一緒にプレーしていた人がほとんどなんですよ。だから、そういう仲間の顔を見ると凄く力が出ました」。その一歩に、その一蹴りに、彼らの力が自身を衝き動かしてくれる。

 岩田はあることに気付いていた。「東京都予選でもああいう戦い方をしたかった訳ではなくて、後半のような戦い方でやっていきたいというのはあったので、本当に練習で繰り返し繰り返しやっていた攻撃がちゃんと出たなって。練習の成果が発揮されたのは本当に嬉しく思います」。無念の下田から引き継いだキャプテンマークを改めて締め直す。

 耐えて、耐えて、蜂の一刺しではなく、しっかり積み上げてきた攻撃の形を、この選手権という最高のステージで披露している。精神的支柱のキャプテンを欠き、3点のビハインドを負った最悪の40分間を経て、彼らの中で確実に何かが突き抜けた。「『オレがいなくてもこんなにできちゃうんだ』みたいな感じでした」と笑いながら紡いだ下田の言葉は、偽らざる本音だろう。西が丘のピッチでは、3年間でも最高に攻撃的なスタイルを貫いている、東久留米総合の選手たちが眩く輝いていた。

 “2-4”という文字が、タイムアップの笛の音を吸い込んだ電光掲示板に浮かぶ。わずかに届かなかった勝利。だが、加藤監督の顔は晴れやかだった。「本当に見ていて僕自身も楽しかったですし、今日の後半は彼らが3年間やってきたものを出してくれたと思っているので、さっき下田がみんなに向かって『悔いはない』と言っていて、僕も負けて本当に悔しいですけど、あの後半を見られたことを彼らに感謝したいなと思います」。

 ハーフタイムの2人には、少し齟齬があったようだ。「蓮太が泣いていたので、『何でコイツ泣いてるんだろうな』と思って(笑) 『まだ終わってないのに、なんで泣いてるんだろうな』と思っていたんですけど、まあ『頑張れ』というふうに言いましたね」(下田)「確かにオレがやるしかないのはわかっていたんですけど、将太郎にも『オマエも何してんだよ』って思ったんですよ(笑) 交替しちゃったものはしょうがないとはいえ、『オマエがいなくなったんだろ』って思ってましたね」(岩田)。すれ違っているようで、似たような想いを抱いている。組んだ時間は短かったかもしれないが、なかなか素敵なコンビになったのではないだろうか。

「最弱の代って言われていたこのチームが、ここまで来られるって思ってた?」。いつも飄々としている松山へ質問してみると、いつもの笑顔でこう返してくれた。「全然思ってなかったです(笑) みんな東京都予選の1回戦で『負けるんじゃねえか』って話していて、そうしたら全国の1回戦まで来られて面白かったです。まあ今日も勝てれば良かったですけど、後半のあの追い上げが最後の最後でできたということには結構満足しています。メッチャ楽しかったです。はい。メッチャ楽しかったですねえ」。飄々としたこのストライカーに、チームは何度助けられてきたことだろうか。

 後半の40分間。西が丘は間違いなく彼らの空気に支配されていた。空色のスタンドがピッチの選手たちに勇気を与え、ピッチの選手たちが空色のスタンドに勇気を与える。あんな経験はきっと望んでできるものではない。でも、西が丘は間違いなく彼らの空気に支配されていた。この先の人生でサッカーを続ける者も、サッカーを続けない者も、高校生活の最後の最後で手にした、信じる者だけが知ることのできるあの空気を忘れないで欲しいと、切に願う。

 東久留米総合の“ラストゲーム”に祝福の拍手を。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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