beacon
TOP > NEWS > 記事詳細

“セクシーフットボール”の深層(中)~夢を持ち続ける限り、夢は叶う~

このエントリーをはてなブックマークに追加

野洲高の選手たちは歩みや学びを止めない。その代表格がMF乾貴士だ。(写真協力=高校サッカー年鑑)

 山本佳司(現甲南高教頭)が就任6年目を迎えた2002年の野洲高は、初めて全国高校選手権に出場し、ベスト8まで進んだ。この年のエースは卒業後、柏へと進んだ中井昇吾。パスとドリブルを巧みに使い分け、相手ゴールに迫る155cmの小柄なテクニシャンで、当時1年生だった松尾元太(元・名古屋、現・大阪体育大監督)は、「とにかく上手くて、初めてこれほど高いレベルのサッカーを経験した。練習で緊張したのも、この時が初めて」と振り返る。

 選手権での実績が評価され、翌2003年にはU-17日本代表のコーチも経験した山本だが、「選手にサッカーを教えようなんて思ったことは一度もない」とキッパリと言い切る。「サッカーは選手自身が学ぶものだ」「子どもたちの夢を育てるのが自分の仕事だと思っている。夢を持った志が高い子どもなら、乾(貴士)みたいに指導者に言われなくても勝手に練習する。その環境を作ってあげるのが仕事」。プロに行ってから、日本代表に選ばれてから、海外に渡ってからも乾は、“上手くなりたい”との夢を見失わない。今でも山本との会話では、「メッシは次元が違う。あんな選手を見ると、練習せなアカン」と言葉が返ってくる。

「30歳を過ぎても『まだ上手くなりたい、メッシみたいになりたい』と小学生みたいな言葉を純粋な目で口にする乾は凄い」と笑う山本は、こう続ける。「小学生の頃は『Jリーガーになりたい』と口にしていても、年齢を重ねるうちに現実を知ったり、失敗を重ねると夢が無くなっていく。高校1年生で目をキラキラ輝かせて、『僕はプロになるために野洲高校に来ました!』という子どもが、学年が上がるうちに夢が小さくなっていくのを見るのは寂しい。『夢は叶うのだ』と粘り強くいろんな角度から伝えることで選手のモチベーションを高め、夢を保てるような後押しをしてあげるのが大人の仕事。夢が膨らんで2年生になり、3年生でプロが無理でも『ほら次のステージで頑張ってこいよ』と送り出す作業を野洲ではやってきたと思う。もちろんサッカーではなく、違う道で成功したいと思ったらそれはそれで良い」

 野洲で夢を持つ重要性について学んだ一人が、松尾だ。「(フィギュアスケートの)浅田真央は10代で世界と戦っているぞ。オマエたちは今のままで良いのか?」という山本の言葉に刺激を受け、夢や目標を高く設定する重要性に気付かされた。

 今でも鮮明に思い出すのは、2年生になる直前に行ったスペイン遠征だ。レアル・マドリーなど名だたるチームと対戦する中で、「スペインと滋賀県の高校生とのギャップに気付かせてもらった。その中で僕の中に生まれたのは、日本人の同年代と同じ感覚なら埋もれてしまうという考え方。みんなと同じように授業がダルいとか、練習が面倒くさいとか言っている場合じゃない。そんな基準で物事を考えていたら、世界では勝てない。そこからは『同年代といかに違うことをしようか』という発想になった」。海外は実力主義の社会で、宿舎が一緒だった選手でも、次の日には契約を切られてチームを去る選手もいた。

「世界には同年代でもサッカーで飯を食っているではなく、サッカーで家族を養っている選手がいると知れた。それが野洲に行った一番の教育的効果。指導者が『世界を意識しろ』と言っても、子どもは言葉だけじゃ気付けない。実践的に身を持って教えてくれたのは山本先生」と松尾は続ける。卒業する際に、山本から受け取った「夢を持ち続ける限り、夢は叶う」との言葉は、大学時代の教育実習で後輩たちにも伝えたという。

(写真協力=高校サッカー年鑑)


【成長のベースは闘争心】

 松尾が野洲に在籍したのは、選手権で優勝する前年まで。いわば創世期と栄光の直前を知る一人で、「“セクシーフットボール”の一言でくくるのは山本先生の正確な評価じゃないと思っている。情熱溢れる先生というのが、純粋な評価かなって。山本先生はいつも熱かった」と分析する。

 野洲の代名詞である“セクシーフットボール”と呼ばれる華麗なテクニックに目がいきがちだが、山本が根本として大事にしているのは、メンタル面の育成だ。「どんなスポーツにも必要なのは心の部分。心をどれだけ磨いて卒業させ、社会に送り出していけるかしか考えていない。例えフィジカルトレーニングでも、心を鍛える練習だと思っている。一朝一夕に心が磨かれるわけではない。練習や試合という日常の中で、プレーや行動が正しかったのかを振り返る」。凡事徹底を図り、粘り強く見方や考え方をブラッシュアップする作業を続ける。

 試合やピッチ上で同時に起きる様々な局面。それぞれの勝負に懸ける想いも忘れてはいけない。パスを出せば、相手はまずインターセプトを狙ってくる。味方が繋いでくれたボールを「目の前の相手に負けないよう、絶対にレシーブしよう」と思うから、一歩でも速くボールに身体を寄せたり、身体をぶつけられても堪えられる。もし当たり負けしても、次のタッチを速くすればボールを失わない。負けたくない気持ちから生まれる工夫が技術に繋がり、身体が小さくても怖がらずにボールを受ければ、前向きで仕掛けられる選手になっていく。「全力で闘った結果、負けるのは恥ではないが、闘わないのは男じゃない。野洲サッカーに最も必要なものは『闘争心』だと思う」。山本の考え方は選手に伝わっており、卒業アルバムに「闘争心」と書く選手が多いという。

 松尾が3年生だった2004年には、これまでの4バックから松尾の両脇に当時1年生の田中雄大(現・秋田)と荒堀謙次(元・横浜FC)が並ぶ3バックへと変更。中盤より前には楠神順平(元・川崎F、現・南葛SC)ら下級生がズラリと並ぶメンバーは、翌年に日本一となるチームの原型と言える。ただし、攻撃好きなメンバーが多く、守備は松尾が一手に担う状態だった。頭を抱えた松尾は山本の下に「守備を教えてください」と頭を下げに行ったが、「何年サッカーをやっているんだ」とだけ言葉を返され、「確かに10年以上サッカーをやっているのに、なぜ分からないんだろうと思った」。そこから、山本がどんな本を読んでいるのか調べ、サッカーを専門的に学ぶようになったという。山本は決して答えを教えるのではなく、選手に考えさせる。例えば、戦術練習もゲーム形式の練習でテーマを与えて常に考えさせる。「見方・考え方を教えるが、いつ・何を選ぶかは、選手のセンス。センスを磨いて欲しい」(山本)との考え方が野洲のベースだ。

 野洲の選手は、松尾と同じように指導者が細かく指導しなくても、自ら工夫して技術を向上させてきた。楠神に憧れた乾のように、上手い先輩たちの背中を見て、後輩たちは自主練でボールタッチや身体の使い方を真似し、“野洲らしい”華麗なテクニックを身につけていくのはこのチームでよく見られる光景だ。「野洲には先輩を認めた上で、上回っていく発想があったと思う。当時のメンバーは歩みや学びを止めない。今でも飲み会になると『順平クン、左足のリフティング何回できる?』なんて質問をする乾を見ると、野洲にいて良かったなって思える。本当にサッカー小僧の集まりで、立場が変わった今でも負けてられないって」。松尾が口にする言葉は、野洲から多くのタレントが生まれた本当の理由だと言えるだろう。

全3回。「“セクシーフットボール”の深層(下)~無名の公立校が示した育成の本質~」(7月3日掲載予定)へ続く。

(写真協力=高校サッカー年鑑)


執筆者紹介:森田将義(もりた・まさよし)
1985年、京都府生まれ。路頭に迷っていたころに放送作家事務所の社長に拾われ、10代の頃から在阪テレビ局で構成作家、リサーチとして活動を始める。その後、2年間のサラリーマン生活を経て、2012年から本格的にサッカーライターへと転向。主にジュニアから大学までの育成年代を取材する。ゲキサカの他、エル・ゴラッソ、サッカーダイジェストなどに寄稿している。

▼関連リンク
●【特設】高校選手権2020
蹴活生ガイド2020(関西) by 森田将義

TOP