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JFAアカデミーからFC東京加入の幸野志有人「FC東京の中心選手に」

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 17日、福島県のJFAアカデミー福島でFC東京への入団内定が発表されている09年U-17W杯日本代表MF幸野志有人(16)の記者会見が行われた。

 日本サッカー協会が中学、高校年代一貫のエリート教育として始めたJFAアカデミー福島の男子1期生の幸野は、豊富な運動量とキック精度の高さ、判断力の高さが武器のボランチ。12日にF東京加入が内定し、同アカデミーから初のJリーガーとなった。
 会見では「このアカデミーで4年間やってきたことが、ボクのサッカーにおいてのすべてだと思っています。そういう意味でアカデミーに本当に感謝しています。FC東京の練習に参加して、チームの目指すムービングフットボールというものがアカデミーでやってきたことそのものでした。ボクの特徴はパス&ムーブで、それはこのアカデミーで4年間やってきたことです。フランスのデュソーさんや、その他のコーチのみなさんによって、ボクの特徴が作られたものだと思ってます。
 ほんとうにこれまでたくさんの方の支えがあってここまでこられたと思ってます。特に地元の広野町や福島県の方々にもたくさんお世話になり、この場を借りてお礼申し上げます」とアカデミーへの感謝を口にしていた。

以下、会見での質疑応答(協力:株式会社ラムゼス)

―目標とする選手とプロサッカー選手を志すようになったきっかけを教えてください。
「目標とする選手は中盤でしっかり戦えるFC東京の米本選手です。米本選手と同じような運動量のある選手になりたいと思っています。
 サッカーを始めるようになったのは父の影響が大きかったです。志有人という名前を付ける父の影響で、物心ついたときにはサッカーをやっていました」

―アカデミーでのいちばんの思い出を聞かせてください。
「やはり12歳で家を出て4年間を過ごした寮生活ですね。
 食事だったり、練習だったり、お風呂だったり、たわいもないことだったり、つらいことや楽しいことも含めて、自宅だったら味わえない仲間との貴重な時間を共有できたことは、ボクのなかでは一生の宝物だと思ってます。
 ボクは東京出身なので、海があったり山があったりという環境に憧れていました。ここにはそういうものがあり、夏には近くの海でみんなで泳いだのも楽しい思い出です」

―プロになるに当たって、こういうところを伸ばしていきたい、というところはありますか?
「まず、試合に出られるようにトレーニングしていくことですが、できるだけ早く試合に出られるようになりたいし、中心選手になっていくことが目標です」

―プロが決まったときに、両親にはどのような言葉をかけられましたか?
「2月に練習参加したときに自宅が近いので、父も母も見に来てくれたのですけど、ボクが楽しそうにやっているのを見て、『このチームに決まってよかったね』って言ってもらえました」

―小さい頃からの夢がかなったわけですけれども、プロが決まった時の気持ち、そして今の気持ちを教えてください。
「小さい頃からJリーガーになるというのは夢だったので、実際決まったときは実感がなかったというか、夢見てるような感じでした。今このような記者会見が開かれているのを見て、自分もプロになったんだなぁという実感が湧いてきているところです」

―今も現役でお父さんはサッカーをやられているそうですが、そのお父さんからプロに決まってよかったねと言われてどのように思いましたか?
「Jリーガーになるというのは、ボクの夢であり、父の夢でもあったので、本当になれてよかったと思いました」

―先ほど、FC東京の中心選手になることが目標ということでしたが、今後人生において、プレーにおいて、どのようなシュート(志有人)を決めたいですか?
「アカデミーのフィロソフィーでもある、『どんなときでもポジティブな態度で何事にも臨み、自信に満ちあふれた立ち居振る舞いのできる人間になる』ということを忘れないで、将来的には海外で活躍できるような選手になって、たくさんシュートを決めたいです」

―2月にFC東京の練習に参加したときに自分で通用したと思う部分はありますか?
「アカデミーでやってきた運動量を活かしたパス&ムーブという部分は通用したと思います。逆に通用しなかった部分は、フィジカル的に一回り大きな選手に体で負けてしまった部分があったので、これからしっかりと鍛えて、戦える選手になりたいです」

―海外で好きな選手はいますか?
「小さい頃からリケルメが好きでした。あとは、去年12月にスペインのバレンシアユースに練習参加したのですが、その時見たトップチームのバネガ選手のすごいプレーを見て、好きになりました」

(協力:株式会社ラムゼス )

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