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セルティック→柏、水野インタビュー。「失敗だったと思うけど得たものもデカイ」

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 W杯など国際舞台で日本の若い選手が評価を高め、新たに長友佑都(チェゼーナ)、香川真司(ドルトムント)、内田篤人(シャルケ)らが、欧州へと戦いの舞台を移す。そんな中、欧州から戻り日本で再起を目指す男がいる。今夏、スコットランド・セルティックから柏レイソルに加入したMF水野晃樹だ。08年1月の渡欧後、思うような出場機会を得られずに苦しんでいた中、Jリーグ復帰を決断したスピードスター。その経緯や現在の心境を聞いた。

―セルティックからは残留要請もあったようですが、なぜJ復帰を?
 「去年の夏から、出場機会を求めて移籍したいと、代理人に話をしてた。でも、なかなか移籍金の(セルティックとの契約は2011年夏まで残っていた)問題もあって、移籍できなかった。サッカー選手として試合に出るということが一番だと思うし、そこを考えたかな。やっぱ、試合に出なかったら、やっている意味がないと思ったんで」
―柏を選んだ理由は?
 「このタイミングで話があったのはここだけだった。とにかくこれ以上、試合に出られない状況を作りたくなかったので、お世話になることを決めました。移籍金を払ってまで獲ってもらったから、結果を出して、チームに貢献したい。それと、いろんな経験を積んできたから、ここの若い選手はいい選手が多いから、経験を伝えるとか、そういう面でもプラスアルファになっていければと思う」
―千葉時代の仲間から「何でよりによってライバル関係にある柏なの?」とか言われませんでしたか。
 「何人か選手と話をしたけど、そういうふうには言われなかった。俺がちょこちょこ心境を話してたから、みんな俺の心境とかも分かってくれてて、頑張れよといってもらえた」
―チームの雰囲気はどうですか。もうチームメートとは仲良くなれました?
 「チームの雰囲気はすごくいいし、練習の取り組み方もいい。サッカー以外でも、選手はみんな明るいね。(6月下旬から)韓国遠征に行って、そこでだいぶ近づけたかな。まあ、最初の挨拶のときに、あまり自分から話に入っていくのは苦手だから、みんなから声かけて欲しいといった。そこからみんな話しかけてくれて、仲良くなれた。知り合いの選手はいた? 代表で一緒だった小林祐三と実(菅沼、7月に磐田移籍)だけ。それ以外の選手とは、まったく付き合いはなかった」
―セルティック時代のことを聞かせてください。2年半で、リーグ戦11試合出場1得点。得たものは何ですか?
 「当然だけど、日本にいたら、世界の選手を相手にプレーできる機会は少ない。そういう経験をできたのは良かった。日本に残ることとは違う経験ができた。環境の面もそうだし、いろんな選手を生で見れた。たしかに試合にはあまり出られなかったけど、欧州CLではビジャレアル戦でベンチ(08年12月)に入れて、本物のアウェーの雰囲気を味わえた。そういういろんなことが経験できたと思う」
―出場機会が少なくてもプラスになった面があったのでは? サテライトで国外遠征もこなしていました。
 「そういう部分では、ジェフに入ってから、最初からけっこう試合にちょこちょこ出させてもらって、代表でも、オリンピックは最後、選ばれなかったけど、それまでは試合に出てたし、日本にいるときは、試合に出られない悔しさを、そこまで味わっていなかった。それが向こうで味わえた。それはプラスになると思う。試合に出られないと、練習で何をしないといけないとか考えたし、試合を外から見て、いろいろ思うところもあった。悔しい気持ちをしたから、それを今後にぶつけたいね」
―自身のプレーを振り返って、海外のレベルをどう感じましたか?
 「プレー面は反省することが多かったかな。日本ではどちらかというと自分は速く、スピードで抜いていく選手だったけど、向こうではスピードは並以下だった。向こうはもっと速いし、技術も上だった。まだまだだなと思った。セルティックで試合に出るには、まだまだ遠いかなと思っていた」
―日本人は技術が高いといわれ、水野選手は日本でも高い方でしたが、それでもダメだったと?
 「たしかに細かい部分はうまいけど、スピードに乗りながらの技術は、向こうのほうが高い。体も大きいし強い。それに慣れるのに時間がかかったかな。ま、フィジカルの面はだいぶ慣れたけど、リハビリ期間が長すぎた。北京五輪前に右膝痛めて離脱して、去年の12月には左膝・・・。内側の靭帯と半月板を怪我して、今やっと実戦ができるようになったばかりだから」
―悔しい思いをしたと思いますが、試合に出られないことへの“雑音”はありましたか? 報道などを含めて。
 「うーん、、、 途中からは記者の人も誰もいなくなったからね。日本のサッカーサイトはチェックしてたけど、何も知らないはずなのに、いろいろと書かれたりしてたから。ベンチ外、ベンチ外、ベンチ外、ベンチ外、ベンチ外と(苦笑)。ま、それは、自分の責任。悔しい気持ちをしたから、それを見返すためにも、ここでしっかりやらないといけない」
―ズバリ聞きますが、今回の海外挑戦を振り返って、ご自身はどう捉えていますか。失敗? それとも?
 「それ聞く? それはいいでしょ。。。(少し間をおき) 俺は失敗だと思うよ。失敗だったと思うけど得たものもデカイ。間違いなく成功ではないけど、それをどうとるかは、自分次第だと思う」
―ところで、英語は話せましたか?
 「聞くほうは向こうに行って勉強して、大丈夫になったよ。ただ、しゃべるほうはなかなか文書を作るのは難しいね。単語をつなげて会話してた。でもサッカーの話は問題なかったし、コミュニケーションを取る部分では、うまくやっていけたと思う」
―中村俊輔と2年間、一緒のクラブでプレー。間近で見てどうでした?
 「やっぱ、すごいストイックな選手。サッカーに対して熱い人だった。サッカーでも私生活でも、いろんないい影響をもらった。間近でいいお手本を見られた。自分の中で、影響を受けて意識の中で変えられたものもあったかな」
―W杯は見ましたか?本田圭佑や長友佑都とか、北京組のことは意識しましたか?
 「全体で見ていたけど、そりゃ、いろんな気持ちで見てたよ」
―1つ年下で、アンダー世代では両翼を組んでいた本田が大活躍でした。
 「あいつもあいつで、サッカーにすごく熱いヤツ。いい刺激になった。仲はいい? 向こうにいたときは何回か連絡を取ったりしてたよ。W杯のときに連絡したけど、返事返ってこなかったな(笑)」
―北京世代でいうと、水野選手も含めて、平山相太や水本裕貴、西川周作、梶山陽平ら年長組が代表には一人もいなかった・・・。
 「それは力不足ですね。自分は怪我してたとか、それは言い訳にならないし、逃げたくない。そういう状況を作った自分のせいだと思う。14年のブラジルW杯を狙いたい」
―話を柏でのことに戻しますが、どういうプレーをしたいですか? 得意のクロス、ドリブルが期待されますが。
 「ゴールシーンとかDVDを見たけど、このチームは、クロスからというのは少ないなと思った。自分はそういう役割をしたい。ミドルシュートも少ないので、それをやりたい。J2は相手が引いてくるから、引き出すためにも打っていきたい。その他にも、レイソルの特徴の細かいパスも入れていきたい。自分を消してこのチームに入るのは、一番、だめなパターンだと思うから、自分の特徴を残しつつ、いいアクセントになれればと思う」
―では最後に、改めて今シーズンの意気込みをお願いします。
 「とりあえず、柏で試合に出ること。感覚を取り戻すことを最初にしないといけない。本調子になるまでのメド? 最初の試合(17日の横浜FC戦)にあわせたかったけど、きょうの試合(7月9日、早大戦)を見ると話にならないね。100点満点で3点くらい。ま、焦ってやると怪我するからね。でも少し無理をして、できるだけ早く本調子にしたいかな。監督からは焦るなと言われてるけど、そうも言っていられない。早くトップフォームに戻して、チームのJ1復帰に貢献したいですね」
<写真>柏のユニホームを身にまとった水野。7月9日、早大との練習試合で約8カ月ぶりに実戦復帰した
(取材・文 近藤安弘)

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