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新監督のザッケローニ氏が歩んできたキャリアとは?

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 次期日本代表監督がついに決定した。日本サッカー協会は前ユベントス監督のアルベルト・ザッケローニ氏と基本合意したことを発表。日本代表の外国人監督は6人目で、初めてのイタリア人監督となる。明日31日に都内のホテルで就任記者会見を行う。

 就労ビザが間に合わないため、9月4日のパラグアイ戦(日産ス)、7日のグアテマラ戦(長居)でベンチから指揮を執ることはできないが、2日から始まる日本代表合宿に帯同し、原博実監督代行とともにチームを指導していく。

 ミラン、インテル、ユベントスなどイタリアの名門クラブで監督経験のあるザッケローニ氏にとって、イタリア国外で監督を務めるのも、代表チームを指揮するのも初めてとなる。

 99-00シーズンにはミランでスクデットを獲得。しかし、その後はシーズン中の解任やシーズン途中からの就任が多く、目立った成績を残せていない。欧州での自身の価値を再び高めるためにも、アジアの代表監督という新たなステージに挑戦しようという野心が日本代表監督就任を後押ししたとみられる。

 ザッケローニ氏は30歳という若さで指導者の道に進み、イタリアの下部リーグから着実に実績を積み上げていった。キャリアの中でも輝かしい成績を挙げたのは95~98年に監督を務めたウディネーゼ時代、続く98~01年に指揮したミラン時代だろう。

 95-96シーズン、セリエAに復帰したウディネーゼの監督に就任すると、セリエBのアスコリでゴールを量産していた191cmの長身FWオリバー・ビアホフを引き抜き、エースに据える。ビアホフはセリエAでもゴールを量産し、ドイツ代表にも招集されるようになった。

 96-97シーズンにはFWマルシオ・アモローゾも加入し、ビアホフ、アモローゾ、パオロ・ポッジの強力3トップがチームを牽引。同シーズンは5位、97-98シーズンは3位という好成績を残し、ビアホフもセリエA得点王に輝いた。

 ウディネーゼを躍進させた手腕を評価され、ザッケローニ氏は翌98-99シーズン、ウディネーゼからビアホフやDFトーマス・ヘルベグという主力選手を引き連れ、名門ミランの監督に就任する。当時の基本布陣は3-4-3だったが、シーズン序盤に思うような結果を残せず、MFボバンをトップ下に置いた3-4-1-2にシステムを変更してからは順調に勝ち点を伸ばし、シーズン終盤の逆転劇でセリエAを制した。

 しかし、その後、チームは不振に陥る。99-00シーズンはセリエAで3位に終わり、欧州CLも1次リーグで敗退。翌00-01シーズンも欧州CL2次リーグで敗退し、シーズン途中に解任された。

 01-02シーズン途中からラツィオ、03-04シーズン途中からインテルの監督に就任。いずれもディノ・ゾフ前監督、エクトル・クーペル前監督の解任を受けての就任だったが、最終的にそれぞれ6位、4位という成績に終わり、シーズン終了後に退任している。

 06-07シーズンにはセリエAに昇格したトリノを率いたが、07年2月に解任。当時はFW大黒将志もチームに所属していたが、あまり出場機会を得ていない。

 そして09-10シーズン、チロ・フェラーラ前監督の解任を受け、今年1月29日にユベントスの監督に就任した。首位と勝ち点16差の6位という状況から指揮を執り、一時はチームを立て直したが、就任後17試合で6勝4分7敗と負け越し、7位でシーズン終了。契約満了に伴い、退任した。

 昨季のユベントスでは、中盤をダイヤモンド型にした4-4-2を基本布陣として戦っていた。2トップはFWアマウリデル・ピエロ(イアキンタ)で、トップ下にジエゴを配置。中盤のサイドではカモラネージやマルキジオらが起用され、守備的なポジションにフェリペ・メロまたはポウルセンが入ることが多かった。4バックはゼビナ、カンナバーロキエッリーニ、グロッソが中心で、GKはブッフォンだった。

(取材・文 西山紘平)

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