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阿部が移籍会見。「今まで教えてもらった監督や関わってきた人に感謝しないといけない」

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 イングランド・チャンピオンシップのレスター・シティFCへの移籍が決まった前浦和レッズのMF阿部勇樹が1日、さいたま市内で移籍会見を行った。

以下、浦和公式HPより、一部質疑応答を抜粋

「昨日の夜、向こうでビザが取れたというのを聞いて、正式にレスターに移籍することが決まりました。小さいころからの夢でした。もちろん厳しい環境にいくことは十分考えたうえで、結論を出したので、頑張っていきたいと思っています。浦和レッズには、3年半いましたが、本当に多くの人に助けられて過ごせたなと思っています。いろいろと悩みましたが、自分にとってはその道がいいかなと思って、いろいろな方にも相談しましたし、一緒にやれないっていうのは寂しいですが、向こうに行ったら、どこから来たかということで浦和レッズの名前が出ると思いますので、その名を落とさないようにしっかり頑張っていきたいと思います。ありがとうございました」

-浦和レッズには3年半在籍しましたが、浦和レッズで、阿部選手がどんな3年半を過ごしてきたのか振り返って下さい。
「2007年に入って、リーグ戦もそうですが、ACLという舞台があって、オジェック監督とともにレッズに来て、オジェック監督は2回目でしたが、いろいろなことを経験できてすごく充実していた1年だったと思います。その後の年はどんどん早く感じて、あっという間に3年半が経ってしまったという気持ちです。すごく楽しい思いをさせていただきましたし、レッズってこういうクラブなんだなっていうのを感じられたので、レッズはすごくいいクラブだと思いますし、実際にこのチームに来て、選手やチームで働いている方々の温かさを感じて、すぐにレッズが優勝した理由はこれだな、と思いました。本当にあっという間に経ってしまったので、正直、3年半もいたのかなっていう感じもします。それだけ充実していたのかなと自分では思っているので、このチームに来てよかったと思います」

-今回、オファーをどういう形で受けて、一番最初はどういう気持ちになったのでしょうか。また現地に行かれたと思うんですが、現地をご覧になってどういう印象を持ちましたか?
「話を聞いたのは、2週間ぐらい前、湘南戦の前あたりだと思います。聞いたときは、素直にうれしかったですし、ジェフにいたときからそういった夢を持っていたので、素直にうれしかったです。現地に行って、どういったクラブなのかな、どういう街なのかなと。実際に見に行きましたけど、よかったです」

-今回、その一報を聞いて、サインを正式にして、思い出しますか?ここでいよいよやるんだということを?
「スタートラインに立ったと思います。でもまだ、そのラインに立っただけですし、ここから先が大事だと思うので、そういった環境でできる喜びもそうですが、簡単にはいかないという厳しさもやっぱりあると思うので、そういうのを感じながらやっていければいいと思います」

-どんなことを考えた?
「やっぱり、また新たな道というか、目標に向かって進んでいかなければいけない中で、いいことも悪いことも考えていかなければいけなかったし、リーグ戦が何試合かあって、自分の中でのプレーの考えっていうのが、なんか、うまく、ワールドカップのときと比べたら、なにか違いがあって、自分にイライラしていた部分があったので、このままじゃちょっと自分的にもまずいし、正直、このまま浦和でやっていてもチームには迷惑をかけるかなという考えを持っていたんで、そういった意味で、いろいろ考える時間はあったと思います」

-レスターはイングランド2部なんですが、移籍するにあたって、イングランド2部の印象を教えてください。
「どこのチームも上に上がれるチャンスはあるし、逆に上から落ちてきて参加しているチームもあります。試合数も多いし、そういった中で結構、この間見たゲームはタイトなゲームだったと思うし、やってみたらおもしろそうだなって思えたので、楽しみです」

-2部というのはあまり関係なかった?
「今、2部ですけど、そんなに、気にはしなかったです」

-気にならなかったというのは、海外に行けるチャンスだからということ?
「もちろんチャンスもそうですが、自分がどうして海外に行きたいのかを考えたときに、こうだから行きたい、こうプレーしたいっていう結論がやっぱり出ると思うので、そんなに深くは考えてなかったです。2部だからとかそういうことは、考えていないです」

-自分の中ではあんまり考えなかった?
「やっぱり、自分が何かに挑戦できるし、チーム自体も上に上がることに挑戦していることだと思います。2部だからとか、そんなのは考えなかったです」

-今回の移籍は阿部選手にとって2回目の移籍になりますが、今だから言える、移籍の大変さとか、苦労したこととかを教えていただければ。
「ここへ来たときは、特にないですが(笑)、移籍してみて、道を覚えるのがちょっと大変だったなと(笑)。いまだにさいたまの道は、名前がちょっと分からないです。それくらいですが、でもチームがまったく違って、環境も違って、同じ日本の中でも多少なりとも感じることがあります。それは、疑問符の「どうなんだろう?」っていうより、楽しみな『どうなんだろう』『こうなのかな』っていうの気持ちが大きいですし、すごく楽しいのかなっていう感じはしています」

-海外を夢見たのは、ジェフの下部組織に入ったときか?
 「下部組織に入って、もう引退した元選手とボールを蹴る機会があって、大人げなく中学生の僕をこてんぱんにやっつけて、そういったキックを見たら、ああ違うんだなあって思えたので、そのときくらいからだと思います」

-ある選手というのは?
「リトバルスキーです」

(先ほど、ワールドカップの後で、自分の中での考えと違っていてイライラしたとおっしゃいましたが、それをもう少し具体的に)
「動きだったり、帰ってきて何かがちょっと違うというか。どういうふうにうまく表現したらいいのか分からないですが、何かちょっと、差というか…。なんか変な感じがあったので、それにちょっとイライラする部分があったと思います」

-ザッケローニ監督が新しく日本代表の監督になって、海外から日本代表を目指すことになると思いますが、日本代表に対してはどんな気持ちを持っていますか?
「どの選手も、どの年代の選手も、あの青いユニフォームを着てやりたいと思うので、まずしっかり向こうでやることがそういった道にもつながると思うので、それはレッズにいたときもそうですし、ジェフにいたときもそうですし、考えは変わりません。まず自分がいるところでしっかり頑張っていきたいと思います」

-もうヨーロッパには行けないのかなと、夢をあきらめそうになったときはありましたか?
「そうですね、それがすべてじゃないと思っていますし、そのためだけにやってきたつもりもないですし、それ以前にいろいろな目標があってやってきたので。もちろん夢ではありましたが、絶対に、それだけの夢しかないのかっていったらそうでもないし。でも、タイミングや年齢的にいったら遅いかもしれないですが、オファーをもらって、本当にうれしく思えたし、楽しみだと思えました。今までやってきたこともそうですし、今まで教えてもらった監督や関わってきた人に、感謝しないといけないと思います」

-年齢的にという話だったんですが、やっぱりこれが最後かなというような印象を持たれていたんでしょうか?
「その先は自分次第だと思いますが、チャンスはそんなに多くないし、絶対にそれは考えの中にありました」

-レッズで一番うれしかったことは、ACLの優勝だと思いますが、他にとても印象に残ったことがあれば。
「このチーム、なんでこんなに仲がいいのかなと、来たときに(笑)。おかしいんじゃないかっていうぐらいすごい仲がよくて。でもこれがレッズの強さ、優勝した理由なのかなって思ったので。ジェフとレッズしか経験していないですが、またジェフとは違った雰囲気だったので、そういった中に入れたことが、うれしかった事です」

以上

(文 近藤安弘)

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