beacon

ケルン移籍の槙野が会見、「ドイツで新しい槙野智章をつくる」

このエントリーをはてなブックマークに追加
 ドイツ1部ケルンに移籍するサンフレッチェ広島の日本代表DF槙野智章が31日、広島市内で記者会見を行い、「ドイツでも新しい槙野智章をつくり上げたいと思います。今よりももっとハードに、そしてタフに、海外でも活躍できるようなDFWとして、守備だけでなく攻撃の部分でも通用する選手になりたい」と抱負を語った。

 槙野は2日に日本を出発。現地でメディカルチェックを受けたあと、正式契約を結び、4日にカタールでアジア杯に臨む日本代表に合流する予定となっている。

以下、クラブ公式サイトより会見での槙野のコメント

「このたび、ブンデスリーガのFCケルンに移籍することが決まりました。僕がサッカーを習い始めてから常に、W杯に出場したい、プロ選手になりたい、そしてもう1つ、海外でプレーしたいと思っていました。その夢がやっと叶い、満足しているとともに、スタートラインに立ったなと感じています。

 海外でプレーしたいという思いは、小さい頃から抱いていました。ただ、なかなかそれに近づくことができませんでした。その思いが強くなったのは、2年前からです。(ケルンを選んだのは、ドイツで)日本人選手がたくさんプレーしており、経済面、環境面、そして自分のプレースタイルなど、トータルで考えた結果、自分が活躍できると信じて決めました。ブンデスリーガのイメージは、ハードワークをして球際にも強く、サッカーというよりも“戦い”というイメージがあります。

 海外でプレーすることを夢見て、それが叶い、満足している部分もありますが、これまで一緒に戦ってきた仲間とプレーできなくなることは心残りです。ジュニアユースから広島で育ててもらい、たくさんの人に支えてもらったからこそ、今の自分があると思っています。そんな方たちと当たり前のようにサッカーをし、楽しく笑っていた自分が、広島のみなさんの前でプレーできなくなるのは寂しいです。

 広島という素晴らしいチームで教わったことをピッチの中でも外でも発揮し、ドイツでも新しい槙野智章をつくり上げたいと思います。今よりももっとハードに、そしてタフに、海外でも活躍できるようなDFWとして、守備だけでなく攻撃の部分でも通用する選手になりたいです。

 自分の目標であった2010年南アフリカのW杯のピッチに立つことができず、2010年のリーグ戦が終了に近づくにつれ、あと4年間で自分が何をしなければいけないのか、考えた結果、国内よりも海外でもっと自分を大きくしたいという思いが強くなりました。海外に挑戦するだけでなく、自分をもっと1ランク2ランク上げなければ、4年後のW杯の舞台に立てません。僕にとっては日々が勝負です。

 1つ上の先輩である森脇くんには、非常に支えてもらいました。サッカーはもちろん、プライベートでも面倒をみてもらい、いつもわがままを聞いてくれました。プロだけでなく、ユース時代も含めて、いい思い出ばかりがあります。これから一緒にプレーできなくなることは、残念に思います。(高萩)洋次郎くんや(高柳)一誠くんや、ずっと一緒に戦ってきた選手とプレーできなくなるのはつらいです。

 常日頃から、自分の中でサッカー文化を興し、子供たちに夢を与えたいと思っていました。こうやって広島で育ち、サンフレッチェで育った僕が海外に挑戦することで広島の子供たちに少しでも夢を与えるきっかけになったのではないかと思います。

 2年目から試合に出るようになり、(サポーターのみなさんには)J2降格という悲しい思いをさせてしまいました。そしてJ1に復帰し、ACL出場権の獲得やナビスコ杯準優勝と波のある結果になったかもしれません。ただ、その中でも僕にとって一番うれしかったのは、5年目になって、僕の応援歌を作って歌ってくれたことです。今まで、自分の所属する学校でプレーしたことのなかった僕を、初めて素晴らしい応援歌で支えてくれました。勝手に始めたサンフレ劇場に期待し、笑って喜んでスタジアムに足を運んでくれたサポーターには、感謝の気持ちでいっぱいです。今年からやり始めたパフォーマンスも、反対することなく僕たちをバックアップしてくれました。本当に感謝しています。

 まだスタートラインに立ったばかりなので、広島で育ち、広島から日本へ、広島で育った槙野智章というフレーズを世界に広げるために大いに躍動し、ドイツでも沸かせるようなパフォーマンスをして盛り上げたいと思います」

(文 西山紘平)

▼関連リンク
2011年Jリーグ移籍情報

TOP