beacon

日本サッカー界の功労者が死去

このエントリーをはてなブックマークに追加
 元日本代表で、日本サッカー殿堂掲額者でもある八重樫茂生氏が5月2日13時10分、脳梗塞のため、東京・多摩市の病院で死去した。享年78歳。

 岩手県出身の八重樫氏は68年に行われたメキシコ五輪で主将を務めた人物で、日本代表として国際Aマッチ44試合に出場して11ゴールを決めていた、日本サッカー界の功労者。

 以下、日本サッカー協会発表の同氏の略歴と通夜式、告別式のお知らせ。

・八重樫茂生
1933年3月24日、岩手県生まれ。
元日本代表選手(国際Aマッチ44試合出場11得点)
1970年日本ユース代表監督

県立盛岡第一高校、中央大学、早稲田大学を経て、古河電工入り。
中央大学在学中、関東大学リーグ新人王を獲得。その後、郷里の先輩である工藤孝一氏が監督をつとめる早稲田大学に編入。当時学生ナンバーワンといわれた早稲田大学の数々の勝利に多大なる貢献をする。
JSL(古河電工)では、51試合出場、14得点を記録。年間優秀11人賞3回受賞。1963年度年間最優秀選手賞受賞。
早稲田大学在学中に日本代表入りし、第16回オリンピック競技大会(1956/メルボルン)に出場。その後、同第18回大会(1964/東京)、同第19回大会(1968/メキシコシティー)と、オリンピック3大会出場を果たす。メキシコ大会では主将をつとめ、精神的支柱としてチームに銅メダルをもたらした。また、第3回アジア競技大会(1958/東京)、同第4回大会(1962/ジャカルタ)、同第5回大会(1966/バンコク/3位)にも出場。Aマッチ出場44試合、11得点。
1967年、古河電工監督。1973年から富士通の指導にあたり、富士通サッカー部の基礎を固めた。
1969年にはFIFAコーチングスクール(千葉)で、スクールマスターのD.クラマー氏の助手をつとめる。
1970年日本ユース代表監督。

■通夜式:
5月5日(木)18時00分より
■葬儀/告別式:
5月6日(金)10時30分より
■式場:
吉祥院アバホール
東京都多摩市豊ヶ丘1-51-2
Tel. 042-374-3123
■喪主:
八重樫幹夫(やえがし みきお)長男

TOP