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松田さんと親友の木島、背番号「3」を下に着てプレー「一緒に戦ってくれるような気がして……」

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[8.7 JFL後期第6節 松本山雅FC1-2SAGAWA SHIGA FC 松本球]
「なんか、メッセージがあるのかなと思ってました。なかなか、勝たしてくれないというか、今日に関しては、ああいうふうに退場者が出たということもあった。今年に入って退場2人というのは初めてだと思う。こういう試合で退場2人とか出しちゃうのかーと思って。“どうなの、マツ?”と聞いてました」
 涙があふれた。マリノス時代から故・松田直樹さんの親友である松本山雅FCのFW木島良輔は試合終了の笛が鳴ると、ピッチに大の字になって真っ暗な天を見つめた。そこで松田さんに問いかけると、余計に涙腺が緩んだ。『マツ・マツ・マツ』の横断幕と背番号「3」のユニホームを手にし、サポーターに挨拶に行った際も、顔を上げられなかった。親友の追悼試合で白星を捧げられず、悔しさ、無念さが募った。
 左足首に負傷を抱えていたが、痛み止めの注射を打ってメンバー入りした。0-1の前半43分、MF須藤右介が2枚目の警告を受けて退場。そこで木島が呼ばれ、1分後の同44分からピッチに立った。「この状況でサッカーやってるのは、ほんと気持ちだけでした。とにかく今日は出たかった。監督も気持ちを汲んでくれたと思う」。
 ユニホームの下には、ベンチに飾られていた松田さんの背番号「3」のユニホームを下に着込んでいた。「マツはほんとに、サッカーをやるために生きてきたというか、サッカーを好きだったと思うし、試合を見ることはマツは好きではないと思う。俺はベンチに置いとくよりも、一緒に戦ってくれるような気がして、着て出て行きました」。後半13分のDF飯田真輝の同点弾が決まったときには、たくし上げて周りに見せた。松田さんもゴールに貢献したという証に――。
 とにかく、熱い気持ちを込めて戦った。練習は別メニューで、コンディションは万全ではなかったが、怪我を全く感じさせないプレーを見せた。後半はキャプテンマークを巻いてプレーした。そして同5分には、中央付近でボールを受けてゴールに突進。長い距離を走ってスルーパスを出した。FW船山貴之のシュートはセーブされたが、1点モノの華麗なパスだった。プレーだけでなく、メンタル面でも引っ張った。
 後半19分に勝ち越しゴールを決められたときは、下を向くチームメイトにゲキを飛ばし、手を叩いて鼓舞した。「一番仲いいのは俺なんで。点取られて悲しがっている時間はないと思って。ほんとにマツのために勝ちたいとみんな思ってくれてると思うけど、なかなか切り替えられていないなと思って“まだ時間はある、勝ちに行くぞ”と言いました」。その様はまるで、闘将とも呼ばれた松田さんが乗り移ったようだった。
 木島は1998年に帝京高校から当時の横浜マリノスに加入。そこで松田さんと出会った。学年は3つ松田さんのほうが上だが、意気投合し、まるで同級生のように仲良くなり、公私共に親しくしてきた。2002年夏に、木島が大分に移籍。その後も東京Vや熊本と転々としたが、その仲が薄れることはなかった。
 木島も松田さんも、今季から松本山雅FCに加入した。約9年半ぶりに同じユニホームを着ることになったが、実は、松田さんを松本山雅に誘ったのは木島だった。「弟(木島徹也)もいたし、俺が先に、ここに来ることを決めて、マツはどうするの? 来なよと。一緒にJ2に上げようぜと。そしたらマツも、お前が行くなら、俺も行くよって」。2人で力を合わせ、松本山雅をJ2に上げようと誓い合ってJFLの舞台にやってきた。加入後は、時には嫌われるのを覚悟で、仲間を叱咤したこともある。どうすれば、松本山雅が強くなるのかと、松田さんと喧嘩したこともあった。
「山雅に来てから、一番印象に残っているのは……、マツは酒飲んでましたけど、まあ、ビール1、2杯飲んで、ほろ酔いになって、喧嘩したことですね。5時間くらい、焼肉屋で口喧嘩しました。“オメーには、サッカーの話は負けねーぞ”と言われて。戦術の話、ディフェンスとオフェンスのことを言い合ってた。俺も譲らなかった。それが一番、残ってるかな。4月ごろでしたね。それ以外にも、常にサッカーの話をしていましたね」。
 もう、松田さんはいなくなった。今後は1人になってしまったが、松田さんの思いを背負って、松本山雅のJ2昇格に全身全霊を傾ける。「ホントだったら、サッカーやれる状況ではないです。けど、マツがそれを喜ぶかと言ったら、喜ばないだろうし、自分もマツと一緒で、サッカー以外ない。サッカーを代わりにやるというのは大袈裟ですけど、マツはできなくなってしまったので、自分がピッチに立って、昇格に導きたい。良い報告をすることでマツは喜ぶと思う」と木島は表情を引き締めた。
「俺は仲がいいから、熱い思いはありますけど、でも、そこまで親しかったわけじゃない選手もいる。俺の気持ちと同じように、全員が同じ気持で“マツのために”という気持ちを持っていないかもしれないけど、そこは何とかチームに言っていかないといけないなと、最年長として、思っています」
 今年で32歳となった木島は、松田さんが永眠されたことで、チーム最年長となった。かつては、どちらかというと“やんちゃな”面があり、松田さんら先輩たちに支えられてきた面がある。今度は、自分が松田さんにそうしてもらったように、若手を引っ張っていくつもりだ。1人になったけど、独りじゃない。松田さんの魂を背負い、松田さんと一緒に戦い抜く。大親友の果たせなかった使命を、木島は代わりに成し遂げる覚悟だ。
[写真]松田さんのユニホームを着込み、手にはリストバンドも着けてプレーした木島。悔しさで涙をこぼしたが、試合後は松田さんの代わりにJ2昇格に導くことを誓っていた
(取材・文 近藤安弘)

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