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「サッカーをやめようかと思った」、頭蓋骨骨折から復帰の水本を直撃インタビュー

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 20日の鹿島戦で105日ぶりの公式戦復帰を果たしたサンフレッチェ広島のDF水本裕貴。5月7日の甲府戦で頭部を負傷し、救急搬送された病院で頭蓋骨骨折および急性硬膜外血腫が判明。緊急の開頭血腫除去術を受けた。命の危険にさらされ、手術直後はさまざまな考えが頭をめぐった。自分自身の不安と恐怖心、周囲からの心配……。もう一度サッカーをやろうと決意するまでには葛藤もあった。わずか3ヵ月半でのカムバック。復帰戦を戦い終えた水本に話を聞いた。

―ヘッドギアを着用してのプレーには慣れた?
「だいぶ慣れました」

―プレーが切れたときに外していたけど?
「ちょっと暑いんですよね。ナイトゲームなのでそこまでではないんですけど、(プレーが止まって)時間があるときは外すようにしています。(熱気が)こもっちゃうので」

―視野が狭くなるとか、周りの声が聞こえにくいとか、そういう影響はある?
「視野に関してはそんなに影響はないですね。ただ、耳がふさがれているので、声は普通より聞きづらいと思います。でも、もう慣れました」

―約3ヵ月半での公式戦復帰。恐怖心や不安はなかった?
「ケガをして最初の2ヵ月ぐらいは『本当にできるのかな』という不安はあったけど、最後の1ヵ月でボールを使ったりして、徐々にみんなと一緒に練習できるようになって、そういうのは少しずつ消えていきました。見ている人の方が心配だと思うので、僕自身は『全然心配ないよ』っていうのをプレーで見せたいですね」

―チームメイトが心配しているのも感じていた?
「ケガをして、たくさんのチームメイトや関係者、スタッフが見舞いに来てくれた。広島というクラブが全力でサポートしてくれたおかげで今の自分があると思いますし、これからはクラブに恩返しというか、結果を出すためにプレーしたいと思っています」

―5月7日の甲府戦。前半8分のCKの競り合いでケガをしたのではないかと見られているけど、そのまま後半11分までプレーした。あの試合のことは覚えている?
「全部覚えていますよ。ケガをしただろうという前半の最初からピッチを出るまで、プレーはだいたい覚えています。チームも負けていたので、交代したくないという気持ちもあったんです。でも、まさか大ケガをしているとは思わなかったし、あとでお医者さんからも『あそこまでプレーできていたのは奇跡だ』と言われた。そのときは無我夢中でやっていましたけど、一歩間違えたらという状況だった。そういった中でここまで戻ってこれたのは、自分にとって本当に大きいと思います」

―病院でケガのことが分かって、すぐに緊急手術になった。
「ビックリしましたね。(頭蓋骨が)折れていただけだったら、もちろんそれでも命の危険はありますけど、中で血が出ていたというのは、そういうことにあまり詳しくない僕でも事の重大さは分かったので。緊急というか、とにかく手術しないといけないという状況でした」

―5月20日まで入院していた。
「ちょっと早く出させてもらったんですが、入院中はいろんなことを考えました。チームに迷惑をかけるし、早く戻りたいという気持ちもあったけど、本当にできるんだろうかという不安もあった」

―復帰は難しいかもしれないと考えたこともあった?
「そうですね。手術をして、チームメイトが見舞いに来てくれた1日目かな。もうサッカーやめようかなと思ったんですよ。自分自身はやりたい気持ちがあったけど、家族のこともあるし、本当に一歩間違えたら奥さんと子供を置いて自分がいなくなることもあった。そういう中で次に同じことが起きたらと考えると、不安があった。でも、嫁さんは何も言わなかった。不安でしたけど、やっぱり自分はサッカーが好きだし、サッカーを通じていろんな仲間とも知り合えた。それで『サッカーをもう1回やりたい』って嫁さんに言いました。最初は『やめようかな』って言ってたんです。でも何日かしたら『やっぱりサッカーをやりたい』って。『好きなようにしたらいいんじゃない』と言ってくれました。だいぶ心配をかけたと思います。今もそうかもしれないですけど、だからこそ、1日1日をしっかり生きたいし、サッカーを見せたいし、これから先も本当にサッカーを楽しんでやれたらいいなと思っています」

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[写真]ヘッドギアを付け、105日ぶりに公式戦に復帰したDF水本裕貴(左)

(取材・文 西山紘平)

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