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山形県勢17年連続初戦敗退…初出場・山形明正高「日常を変えないと」

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GK酒井淳平(左)とDF松田海生(写真協力『高校サッカー年鑑』)

[12.29 選手権1回戦 山形明正0-4米子北 埼スタ]

 創部38年目で初の全国大会出場となった山形明正高だが、プレミアリーグWESTを戦う強豪・米子北高に0-4で完敗。山形県勢はこれで、17年連続の初戦敗退となった。石原和実監督は「普段どのリーグでやっているかの日常が大事なんだと、準備も含めて感じさせられた。日常を変えていかないといけない」と危機感を募らせた。

■千葉県から越境入学

 先制点に繋がるミスはあったものの、GK酒井淳平(3年)は相手の決定機を次々と弾き出していった。「シュートストップはあったんですけど、何より欲しかったのは勝利だったので、悔しい気持ちの方が大きいです」。ロッカールームで流したであろう涙は、まだ乾ききってはいなかった。

 千葉県から「覚悟を決めて」山形にやってきた。「子供のころから選手権に出たいという目標があって、千葉だったら流経柏か市船のどちらかというイメージがあったけど、自分は身長もないので入るのは難しいかなと思った。そこで中学のチームの監督と繋がりがあった石原監督に声をかけてもらって、山形に来ることにしました」。

 ただ当時は県リーグ2部に所属。人工芝グラウンドが作られるなど強化の途上にあったが、降雪で練習ができない日々が続いたことは、本当に驚かされたと振り返る。しかし同じ夢を抱いて集まった仲間がいたことが心の支えになった。主将DF松田海生(3年)やFW末光清(3年)は中学から同じチーム。この日も最後には3人でピッチに立つことができた。

「本当に宝物というか、自分たちにしか経験できないことだと思う。一年生から出ていた海生の背中を追ってやってきたし、二年生で自分も試合に絡めるようになって、その時に責任感も増した。なかなか結果が出なくて悔しい思いもずっとしてきたけど、最後に選手権で山形を獲れた。でも全国ではやっぱり差があったので、後輩たちには頑張ってほしいです」

 思い出を作った仲間ともここでお別れ。来春からは別々の道に進むことになる。酒井は千葉に戻って明海大学に入学してサッカーを続けるが、主将としてチームを引っ張ってきた松田は、北海道にある専門学校に進学して、救急救命士を目指すことになるという。

 目指してきた夢舞台は、あっという間に過ぎ去った。ただ子供のころに憧れた高校選手権が行われていた埼玉スタジアムで、サッカーキャリアの最後を飾ることが出来た。「特に前半は早く感じたかな」と感じることが出来たことなど、すべてがいい思い出だ。「機会があればやりたい」。関わり方は変わるかもしれないが、今後もサッカーは人生を楽しく生きるための大切なピースであり続ける。

(取材・文 児玉幸洋)

●第102回全国高校サッカー選手権特集
児玉幸洋
Text by 児玉幸洋

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