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始まりはあの“失言”から…川淵氏がオシム氏逝去に哀悼の意「謝ることはないと。慮ってくれる人だった」

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川淵三郎相談役とイビチャ・オシム氏

 元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が1日、80歳で亡くなった。日本サッカー協会(JFA)は2日、川淵三郎相談役のコメントを伝えている。

 川淵氏は「オシム元日本代表監督の訃報に接し、心から哀悼の意を表します」と語り、オシム氏との思い出を振り返る。「オシムさんとの最初の思い出は、大阪の長居陸上競技場で行われた東京オリンピック5・6位決定戦『大阪トーナメント』。相手のユーゴスラビアに長身ですらっとしていて、非常にうまいセンターフォワードの選手がいたのを印象深く覚えていて、後になってオシムさんだったということを知った。素晴らしい選手だったから印象に残っているということはあるけれど、その人が42年後に日本代表を指揮したということは、やはり縁があったのかと思う」と述べている。

 日本代表の2006年ドイツW杯敗退直後、川淵氏は総括会見で次期監督について、正式発表前にもかかわらずオシム氏の名前をポロリ。交渉中の失言は大きな波紋を呼んだ。

 川淵氏は当時を振り返り、オシム氏とのエピソードを明かしている。

「最も思い出深いのは、僕の“オシム失言”とオシムさんが脳梗塞で倒れた時。大きな期待を受けて出場したFIFAワールドカップドイツでグループステージ敗退となり、とにもかくにも日本のファンに謝りたいと思って記者会見に臨んだ僕は、質疑応答に入ったところでうっかり『オシム』と口にしてしまい、大きな非難を浴びた」

「その失言によって代表監督を引き受けてくれなくなるかもしれないと心配したが、オシムさんは『会長がそんなことでいちいち謝ることはない』ととがめることもせず、引き受けてくれた。常に僕の立場を慮ってくれる人だった」

 オシム氏は06年に日本代表監督就任も、07年11月に脳梗塞を患い、途中退任となった。川淵氏はそのことにも触れる。

「2007年11月にオシムさんが倒れたという一報を聞いた時は本当にショックで、毎日祈るような気持ちだった。ドクターらの献身的な働きによって何とか一命をとりとめ、ようやく面会できることになり病院に伺うと、リハビリが終わろうとしているところだった。その時の僕への第一声は『こんなに(リハビリで)痛めつけられて『ありがとう』と言わなきゃいけないのは承服できない』。その時のいたずらっぽい笑顔が忘れられない」

「チームに対して献身的なプレーをする選手を重用し、含蓄ある言葉でチームに大切なことを教えてくれた。ジェフユナイテッド千葉に『オシムイズム』を浸透させ、多くの日本代表を送り出す強いチームに成長させた。Jリーグ各クラブにとって『オシムイズム』をもう一度、思い起こす時なのではないだろうか。オシムさんの教えをもう一度思い出し、強い日本サッカーをつくってほしいと思う」

「イビチャ・オシムという偉大なる人物にジェフユナイテッド千葉、そして日本代表を指揮してもらえたことは日本サッカーにとって大きな名誉だと思う。心から哀悼の意を表します」

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