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昌平GK西村遥己が新潟内定会見。「可能性がある限りは最後まで諦めずにプロを目指してきた」

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新潟内定の昌平高GK西村遥己(中央)、新潟・本間勲強化部スカウト(右)、昌平・藤島崇之監督

 ラストチャンスを掴み取った守護神の晴れやかな笑顔――。14日、埼玉県北葛飾郡杉戸町内の昌平高(埼玉)でGK西村遥己(3年)のアルビレックス新潟入団内定記者会見が開催された。

 会見には西村のほか、新潟の本間勲強化部スカウト、昌平の藤島崇之監督、城川雅士校長が出席。西村は「小さい頃からの夢だったプロサッカー選手になることができ、とても嬉しく思います。アルビレックス新潟という素晴らしいクラブでキャリアをスタートできることを、とても誇りに思います。遅い時期の内定にはなりましたが、最後まで応援してくださった昌平高校の監督をはじめ、コーチの皆さま、仲間がいたからこそ、こういう内定という結果になったと思います。これからも1日1日が大事だと思いますので、プロとしての自覚を持って毎日頑張っていきます。これからも応援よろしくお願いします」と初々しい表情で抱負を口にした。

「本年度の本校では八木くん、平原くん、井野くんと3名がプロの世界へ歩んでいく仲間がいる中で、西村くんは進路がなかなか決まらずに、私も『早く決まるといいなあ』と正直ずっと思っていました」と城川校長が会見冒頭で語った言葉は、誰もが感じていた想いを過不足なく表現している。

 11月にはギラヴァンツ北九州へ加入するMF井野文太(3年)とMF平原隆暉(3年)、福島ユナイテッドFCから内定を得たCB八木大翔(3年)が『合同記者会見』に臨む中、Jリーグの数クラブに練習参加していたプロ志望の西村には、まだ正式なオファーが届いていなかった。

「周りで同級生がプロになった時には『悔しい』という気持ちが大きかったんですけど、コーチや監督が自分の進路に対して凄く親身になって話を聞いてくれました。小学生の頃から、将来の夢はずっとプロサッカー選手と周りにも公言していて、有言実行したいなという想いもありましたし、『可能性がある限りは最後まで諦めずに追いかけよう』と思って、この時期までプロを目指してきました」(西村)。

 年が明けた1月。新潟からキャンプ参加のオファーが届く。時期的にも高卒プロへのラストチャンス。不退転の決意を持って、高知へ乗り込んだ西村を待っていたのは、想像以上に馴染みやすい雰囲気だった。「練習に入った瞬間から『こんなに受け入れてくれるんだ』って。みんな話し掛けてくれますし、練習の中でも『こうした方がいいんじゃない?』という声が本当に多くて、こんなにも良い関係で言い合えるのは凄く良いなと思いました」。

 藤島監督が「コミュニケーション能力が高く、大人としっかりと会話ができて、その中でしっかりと言葉でも表現できる」と評した性格も、すぐさま発揮されたという。「2日目ぐらいからは『だいぶ前からいるんじゃないかな』というぐらい打ち解けていて、僕も『馴染み過ぎているな』なんて声を掛けさせてもらったんですけど(笑)、アピールしようという部分も前面に出してくれましたし、キャンプを通して非常に良いパフォーマンスを出してくれたなと思います」と明かすのは本間スカウト。監督やGKコーチの評価もキャンプ参加当初から高かったそうだ。

「一番感じたのは『当たり前の基準が高いな』」と。自分が1週間に1回か2回出せるかというプレーを、毎日継続して出していることが凄く衝撃的で、自分が良いプレーを出しても、もっと良いプレーをプロの選手は練習から出しているので、厳しい世界だなとは感じました。でも、それが自分のモチベーションにもなって、『負けたくないな』という気持ちはありましたね」という西村の猛アピールは実った。2月8日。新潟から加入内定のリリースが発表される。諦めなかった18歳は、自らの手でプロサッカー選手という職業を勝ち獲った。

 187センチの長身を誇る西村は、高校2年時に正守護神として高校選手権全国ベスト8を経験し、昨年もU-18日本代表候補合宿に招集されるなど、世代屈指のGKとして活躍。自身の特徴を「一番はシュートストップだと思っています。シュートストップをすることによって、試合の流れを大きく変えて、チームを勝利に導くことが自分の強みです」と分析するが、小学生時代は一貫してフィールドプレーヤー。中学進学時のクラブには「サイドに張って、カットインでゴリゴリ入っていくような縦突破が売りでした(笑)」というサイドハーフでセレクションに合格したものの、“PK職人”だった2歳年上の兄に憧れていたこともあって、GKへの転向を決意する。

 当時の所属クラブはGKが多かったこともあり、狭山中央中サッカー部へと“移籍”した中学2年時から、本格的にGKへ挑戦。以降もさらなるステップアップを求めて加入したフィグラーレ狭山FCで、才能を伸ばしていく。その頃から負けず嫌いは折り紙付き。「中学生の時は17-1で勝った試合で、半泣きで帰ったこともありました(笑)。シュートは1本も打たせたくないし、決めさせたくないというのが大きかったですね」と笑いながら当時を振り返る。

 高校入学後も決して順風満帆だったわけではない。「能力的な高さは兼ね備えていましたけれども、基本的なスキルの部分がまだまだ足りない部分もありました」と藤島監督。高校2年の夏まではチーム内でも4番手という扱いだったという。だが、夏休みにGKコーチから指定されたキックの本数を、ひたすら蹴り込む練習を繰り返したことで、一気に能力が開眼。その秋の選手権予選以降は正守護神の座を譲らず、プロからの注目を集めるまでに成長を遂げた。

 ライバルの存在も語り落とせない。同級生のGK松葉遥風(3年)は、3年間に渡って切磋琢磨してきたチームメイト。「1年生で新チームになった時に、松葉は試合に出ていて、その時に『ここで終わってしまうのは嫌だな』ということを感じさせてくれましたし、早い段階で火を付けてくれたことで、ライバルとして凄く良い関係になりました。3年生になって松葉はベンチに入れない時でも、サッカーへの情熱をまったく落とすことなく練習に来ていたので、自分もモチベーションを下げちゃいけないと感じて、練習に早く来たり、遅くまで残って練習したりしていました。今は応援し合う存在というか、アイツは一般受験するので『受験どうだった?頑張れよ』みたいな励ましのやり取りが続いています」。松葉をはじめとした仲間と過ごした時間は、西村にとって何よりの財産だ。

 アルビレックス新潟のイメージを「サポーターが素晴らしいということは聞いていて、熱いサポーターの方が多いということもそうですし、凄く応援してくれるチームだなって。リリースが出てからも凄くたくさんのメッセージを戴いて、『こんなに応援してもらえるクラブなんだな』と実感しました」と語る西村に、キャンプ参加時に印象に残った選手を尋ねると、千葉和彦の名前が挙がった。

「練習中で自分がミスをしてしまった時に、千葉選手が『チャレンジのミスだったら全然いいし、できなかったことができるようになることが良いことなんだから』と言ってくれて、とてもチャレンジしやすい環境に身を置けるなと思いました」。何ともカッコいいエピソードだが、実はキャンプの前に“初対面”は済ませていたそうだ。

 「PCR検査を受けるために新潟に合流した時、オフの日だったんですけど、たまたま千葉選手がストレッチをしに来ていて、そこで会いました。クラブハウスに入った時に『一発ギャグ持ってる?』って一番最初に聞かれて、『どこかで振るから』って言われたんですけど、結局やらずに済みました(笑)。でも、ああいうベテランの選手が話しかけてくれるのは、練習生としても凄くありがたかったので感謝しています」。千葉の気遣いもさすがだが、西村が“先輩たち”から話しかけたくなるような雰囲気を纏っていることも、また確かな事実である。

 なお、高校の先輩でもある小見洋太についても聞いてみると、想像通りの答えが返ってきた。「小見選手は練習参加すると言った時も、あまり驚きもしなかったですし、内定を伝えた時も『ああ、そうなんだ』みたいな感じだったので、『あまり変わってないな』とは思ったんですけど(笑)、いろいろ分からないことは教えてくれて、社会人になるということで礼儀の部分や先輩に対しての行動や言動に関しては最初に会った時に教えてもらって、そこがあったからこそ、上手くチームに馴染んでいけたかなと思います」。最後の方はやや“フォロー感”も否めなかったが、もちろん小見の存在が西村にとって何よりも心強いことは言うまでもない。

 「本校から誕生したJリーガーの中で、GKは初めてですので、そういった意味で今後彼が良い活躍をしてくれることが、また次にも繋がっていくと思っています」と話した藤島監督は、西村への期待をこう続けている。「この時期で入団内定ということは非常に稀なケースではありますけれども、ここまでしっかり気持ちを切らさず、力を付けてきた結果だと思っておりますので、そこは本当に彼の頑張りがあったからこそだと思います。これから厳しい世界に飛び込んでいきますけれども、そこでも自信を持って、その自信を裏付けるための努力をしながら、その中でしっかりと自分自身を持って戦ってくれることを期待しています」。

 自分に関わってきてくれた多くの人々への感謝を胸に、プロサッカー選手としての新たな人生を歩み出す西村が、ビッグスワンのピッチで大きく羽ばたく日が今から楽しみだ。

 

(取材・文 土屋雅史)

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