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遠藤渓太はFC東京でJ復帰…ドイツ3年半の苦境は「それが自分の実力」横浜FMでともにした指揮官や仲川と再起へ

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MF遠藤渓太

 再出発のJリーグ復帰となった。FC東京に期限付き移籍で加入するMF遠藤渓太(←ウニオン・ベルリン)はドイツでの3年半を「まったく結果を残せなかった」と振り返る。「苦しい時間を過ごしたけど、それが自分の実力。FC東京でまた一から自分の価値を高めていければ」と力を込めた。

 遠藤は横浜F・マリノスで2016シーズンにトップ昇格を果たし、19シーズンにはJ1優勝も経験。翌20年夏にウニオン・ベルリン(ドイツ)にレンタルで移籍した。20-21シーズンのブンデスリーガ第7節で初先発入り。開始3分に初ゴールを奪うも、前半20分に負傷交代という憂き目に遭う。

 復帰後は途中出場が増えるも、20-21シーズンは公式戦17試合出場に終わった。クラブは21年4月に買い取りオプションを行使し完全移籍。だが、翌21-22シーズンはブンデスリーガで4試合出場のみとなった。

 出場機会を求める遠藤は22年夏、ブンデス2部のブラウンシュヴァイクに期限付き移籍する。22-23シーズンはブンデス2部で18試合、カップ戦で2試合出場でレンタル期間を延長。23-24シーズンでは開幕節、第2節と先発するも、再び出場機会を失った。

 13日の新体制発表会後の囲み取材で、遠藤はドイツでの苦しさを噛み締める。「継続的に出られなかったことが原因。じゃあなんで(苦労したか)と言われたら、正直自分でそこまで完璧には分析できていない。なぜ(苦労した)か最後までわからなかったということが原因なのではないかと思う」と冷静に語る。

 ブラウンシュヴァイクの指揮官とは出場機会について話したという。

「なんで出られないのか、どうしたらいいのかと意見交換をした。言ってしまえばチャンスをそんなに与えるのは難しいと言われた。そういったなかでのFC東京のオファー。チャンスがないと言われて、そのなかで頑張るという手もあった。だけど、そこは自分のなかで踏ん切りをつけてこっちでチャレンジをしたいと思った」

 FC東京に決めた理由は、熱量のあるオファーと横浜F・マリノス時代にコーチとして指導を受けたピーター・クラモフスキー監督の存在。新たなスタートを切るにあたり、「サポーターの方々も、遠藤は動けるのかと思っていると思う。自分が何ができるのか見せられればいい。サポーターの方々に認めてもらえるように、ピッチで活躍できれば」と決意を示した。

 背番号は11に思い入れがあったようだが、選択の時点でFW小柏剛(←札幌)に決まっていた。「11番という背番号を大事にしていたが、そのときは11番がなかった。2倍じゃないですけど、22番にしようかと」と選択の経緯を明かす。横浜FM時代にともに優勝を味わったFW仲川輝人の存在も、また遠藤にとって大きい。「一緒にプレーしていた選手と一緒に戦えるのは誇らしい」と目を細めていた。

 再出発の地で、遠藤は奮起を誓う。「でも、テルくんもそうですし、自分も試合に出ることは何も決まっていない。まずは競争に勝つことがすべて」。栄光も挫折もすべては過去。ただ、前だけを見据えていた。

(取材・文 石川祐介)

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石川祐介
Text by 石川祐介

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