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2度の降格を知る生え抜き、大谷と近藤も歓喜。「歴史が作れたと思う」

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[12.3 J1第34節 浦和1-3柏 埼玉]

 暗黒の時代を知るからこそ、喜びは大きかった。やっと訪れた歓喜の瞬間。生え抜きとして2度のJ2降格を知るMF大谷秀和とDF近藤直也は、言葉では表し切れない表情を浮かべていた。キャプテンの大谷はJリーグチャンピオンに与えられるシャーレ(銀皿)を列の中央で高々と掲げた。生え抜きコンビは苦節を乗り越え、ついに至福の時を迎えた。

「本当に嬉しいです。あまりプレッシャーを感じてないと思ったけど、終わってみると、ほっとしました。去年もJ2で優勝して、今度はJ1で優勝できた。過去になかったことができたので、歴史が作れたと思う」。大谷はしみじみと語った。

 近藤は「泣いていた? 降格とか苦しい時期を経験しているので、そういう思いが出てきた。自分自身も大怪我をして、試合に出られない時期があった。そういうのを思い出して涙が出てきました。恥ずかしいですね。みんなには泣き虫と言われました」と照れ笑いを浮かべた。

 共にユース出身の生え抜き。2002年に近藤が、2003年に大谷がトップに昇格した。試合出場を掴みかけたばかりで、まだ駆け出しだった2005年。J2降格の悔しさを味わった。当時はまだ若手で、不甲斐なさを感じたという。今と比べると、あの頃のチームは、お世辞にもチームワークはいいとは言えなかった。下位をさまよったシーズン終盤は、練習の雰囲気も最悪。外国人選手とコーチが言い争うときもあった。今年のように“戦う集団”ではなかった。

 近藤も大谷も05年シーズンについて聞かれると、「苦しかった」と口を揃える。近藤は特に、当時は右膝前十字靭帯断裂という怪我に苦しんだ。「いろんな悔しい経験をしてきて、ドン底にいたなと。今ここにいれる幸せというか、そういうのがこみ上げてきた。いろいろとありましたね……」。優勝した喜びもあったが、過去の悔しさが脳裏に浮かび、余計に涙があふれたという。

 1度目の降格が決まった05年オフには、FW玉田圭司やMF明神智和、DF波戸康広やDF土屋征夫ら多くの主力がチームを離れた。2人は若手の年齢ながら、中心選手となった。何とか強豪復活を目指したが、09年に再びJ2に降格。実績を積んだ2人は、他クラブへ移籍することもできたが、残留を決断。柏の再建のためにすべてを捧げた。そんな思いが結実した。

 今季、近藤はCBとしてリーグ戦31試合に出場。守備陣を統率した。シーズン終盤は、試合後は常に両足にアイシングをするなど満身創痍だったが、休むことはなかった。大谷もチームの心臓部といえるボランチで同27試合に出場。絶妙な守備のバランスとパスワークで、攻撃陣を支えた。助っ人MFやFW陣の活躍が目立ったが、生え抜きの2人が“縁の下の力持ち”として柏を復権に導いた。

(取材・文 近藤安弘)

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