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元JリーガーGK榎本達也がブラサカで”現役復帰”を決意した理由

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榎本達也は軽快な動きで代表生き残りをアピール

 元JリーガーのGK榎本達也が13日、約2か月ぶりに日本代表合宿に参加。普段はFC東京普及部で子供を教え、明治大学サッカー部のコーチでもある榎本は、紅白戦でエース川村怜のシュートを再三阻止。元Jリーガーの貫禄を見せた。

「普段は幼稚園生から小学校6年生までを相手にサッカーを教えていて、明大にも週2回ほど教えに行っています。ブラインドサッカーの合宿参加は8月以来。ただ仕事の関係で、合宿後に行われた8月の南米遠征には参加できませんでした。普段は仕事が終わった後、(FC東京の)トップチームの選手がいないジムを1時間ほど使わせてもらうか、自宅でトレーニングするぐらい。ボールを使った練習は本当、全然できていない。明日、動けないんじゃないですか」

 冗談交じりに笑った榎本は2016年のシーズン終了後、20年間のプロ生活を終えた。J1からJ3まで出場したのは300試合以上。現役復帰など全く考えていなかった。しかし引退を決めた直後、1m90のサイズがありながら予備動作が少なく、予測のつきにくいシュートにも無駄なく対応できる榎本は、ブラサカ日本代表の高田敏志監督に見込まれ、声をかけられた。 

「最初、(高田)監督にもお断りさせてもらっているんです。『現役を退いているので、無理だと思います』と。高田さんからも『今すぐに答えを求めてないから』と言われて……」

 仕事で子供たちと接する中で榎本は自分の心の奥底に、ある違和感を覚えるようになる。

「子供たちに必ず言う言葉があるんです。『できなくてもいいから、まずチャレンジしよう』と。そう子供たちに話している自分が『無理だからやらない』ってことをしていいのかな、と考えるようになったんです」

 2017年4月にブラサカの日本代表強化指定選手に選ばれ、その後、合宿などにも参加。その頃も燃えたぎっていた現役時代の熱いハートが完全に戻ったわけではなかった。同年12月、マレーシアで行われたアジア選手権で日本代表に初選出され、優勝できなかった悔しい経験が熱い思いを呼び起こすきっかけになった。

榎本(右)は田中章仁にイメージを説明

 合宿初日となった13日も、視覚障害を持った選手がよりイメージしやすいように、その選手の背中に指で動きかたを書いて説明したり、別の選手には肩を抱きながら叱咤激励。普段、子供たちに十人十色の接し方をしているコーチングの「技」を随所に見せた。

「選手時代と比べると動く量も減ったし、実際、頭の中で思い描くプレーと実際にやれているプレーにズレが出てきていることもわかり切っています。今回、僕自身は2か月ぶりの代表参加なので、この2日間の中でしっかりコミュニケーションとって今、チームがやろうとしているイメージをしっかり表現できるように頭だけでも準備はしたい。アルゼンチン戦の日本代表に選ばれたとしても、『出たときはこうしよう』という高望みはしていません」

 どんな状況に置かれても、その中でできる100%の準備をする。榎本の大きな「背中」も、日本代表のかけがえのない戦力になる。

(取材・文 林健太郎)

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