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23日公開の映画「蹴る」に込められた思い

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右から中村監督、永岡真理、出演者の吉沢祐輔、Jリーグ・米田惠美理事、北澤豪・日本障がい者サッカー連盟会長

 電動車椅子サッカー日本代表選手の日常を追った「蹴る」が23日、ポレポレ東中野より全国順次公開される。選手やその関係者の日常を鮮明に映し出すため、撮影に6年間費やしたが、中村和彦監督と、出演者のひとり、永岡真理にインタビューした。

 中村監督は映画をとるきっかけとなった永岡との出会いの日を今でも忘れられない。

「ちょうど、(2011年に)なでしこジャパンが世界一になる前日のことでした。電動車椅子サッカーの日本代表―関東選抜戦があって、日本代表の相手チームにいた彼女(永岡選手)に一目ぼれしたんです。本当に背中から炎が出ているような感じで……。永岡選手をはじめ、選手や支えている人たちのもとに通い続けてわかったのは、極端に言うと、彼女、彼らから電動車椅子サッカーをとってしまったら何が残るんだと。それぐらい賭ける思いが強い。チームのスタッフも、選手たちの『熱』に引っ張られていた。そのことが撮る原動力になりました」

 中村監督にとって、知的障がい者のサッカーワールドカップ2006年大会に出場した選手たちを追ったドキュメンタリー映画「プライドinブルー」、2009年夏に台北で行われたデフリンピックに初出場した聴覚障害を持つサッカー女子日本代表チームを追った「アイコンタクト」についで、障害者サッカーをテーマにした映画は3作目。「蹴る」は今までで一番時間を費やした。

「何かある特別な思いに突き動かされたわけではないんです。(『プライドinブルー』を撮る前から)僕自身に障がいのある人への先入観や十分な知識もなかった。だからこそ、フラットな目線で入れたと思っています。今までの作品も、今回も映画を見てもらった人に追体験してもらいたい、という想いは変わりません」

熱っぽく語る中村和彦監督

 身を削るような思いで電動車椅子サッカーにのめりこむ選手たちの姿や、病気とのはざまで競技の続けるためのある重大な決断、上達したいと思うがゆえの葛藤、濃密な人間関係の中から生まれた甘い恋や切ない別れまで、彼女、彼らのあるがままの姿が映し出されている。リアルを映し出すことにこだわって、選手や支える人たちに完全に溶け込む関係性を築いた中村監督のことを、永岡はこう明かす。

「監督は、私たちが遊んだり、通院風景などもすべて追っています。だから映画になるまではどこが使われるかもわかりませんでした。実は、最初の頃は(撮影を)遠慮していただいた場面もあったんですけど、だんだんいてもらうことが自然になっていって、むしろいないときは『なんでいないの?』みたいな……(笑)。『撮るよ』と構える感じでなく、普通に輪の中にいる感じでした」

 資金のあてのないままひとりで撮り続けていた中村監督は、資金集めのために撮影と並行して途中から他の映像関係の仕事や、介護関係の夜勤バイトも開始。完成のめどが立たない時期にはストレス性の腸炎にかかったりもしたが、アルバイトの仕事を通して筋ジストロフィーや脳性麻痺の患者さんと実際に向き合い、重い障がいがある人の体の状態や悩みが肌感覚でわかり、間接的に映画の製作に役に立った。中村監督が言う。

「映画を見ることは、生を見ることについで直接に近い。見てくださった方には彼女、彼らの生き様を体感覚でちゃんと理解してほしいと思っています。ある意味、生よりも生々しかった部分も見られると思っています」

先月27日、JFA内のイベントで軽快なプレーを見せた永岡真理

 生まれながらにして難病「SMA(脊髄性筋萎縮症)」を患い、これまで1度も歩いたことがないが、試合では華麗かつ激しいプレーを見せる永岡は、病の影響で肺活量が成人女性の4分の1ぐらいしかなく、咳をすることができない。風邪をひくと肺炎にかかる危険性と背中合わせの生活をしてきた。

「いろんな選手が登場していますが、どの選手も共通しているのは命がけでサッカーをやっている点です。単純にサッカーをしているだけではないんです。本当の命がけが詰まっているところをみてほしいです」

 永岡は16日に神奈川県電動車椅子サッカー協会主催で開かれる「ドリームカップ」に出場予定。彼女が明かす「リアルな命がけ」は平塚(トッケイセキュリティ平塚総合体育館)でも見ることができる。

(取材・文 林健太郎)

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