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日本代表GK東口にプロへの道筋を示した大会“デンチャレ”「すべてこの大会から始まりました」

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デンチャレの活躍がプロに繋がった

 ついに今日から『第32回デンソーカップチャレンジサッカー 熊本大会』が開幕する。過去、多くのプロ選手、代表選手を輩出してきたこの大会。なかでも第21回(2007年)、第22回大会(2008年)に参加したGK東口順昭(新潟経営大、現G大阪)は、東海・北信越選抜の初優勝に大きく貢献し、その活躍が評価されてプロへの道を拓いた。現在は日本代表としてもプレーする東口が「すべてこの大会から始まった」という『デンソーカップチャレンジサッカー』。『デンソーカップサッカー 25周年記念誌 Stars Univ. II』のインタビューから、その一部を紹介する。

――東口選手は、『デンソーカップチャレンジサッカー』(以下『デンチャレ』の第21回島原大会(2007年)と、第22回宮崎大会(2008年)に参加されています。
「どちらの大会も印象に残っています。最初に選ばれた島原大会では、自分が選抜に選ばれると思っていなかったうえに、北信越地域の自分が選ばれたという点での驚きもありました。東海・北信越選抜は東海選抜と北信越選抜、ふたつの地域選抜の合同チームなのですが(※現在は東海選抜と、関東B・北信越選抜に構成が変更されている)、どちらかといえば東海の選手のほうが多く、北信越の選手が選ばれることは稀だったので……。

 島原大会の結果は散々でしたし(8チーム中6位)、そのときの自分はほとんどサブメンバーでした。けれどこの大会をキッカケに、全日本選抜に入ることができた。これがふたつめの驚きです。このことでプロへの道が開けたと思っているし、関東の大学に所属しているわけでもない自分を、それまでの経歴は関係なく、フラットな目線で選んでくれたスタッフの方には本当に感謝しています。

 2回目の参加となった宮崎大会は、東海・北信越選抜として優勝し、個人的にもMVPになれました。自分の名前を『デンチャレ』という大会の歴史に残せたという面で、とても印象深い大会だったと思います」

――東海・北信越選抜が優勝した決勝戦(vs九州選抜、1-1PK4-2)のことは覚えていますか?
「もちろん覚えていますよ。実は試合中に捻挫してしまって。自分のミスで九州選抜に先制されてしまったので、「挽回しないと」と思っていました。なんとか追いつけてPK戦で勝ったのですが、優勝というのは初めての経験だったし、チームとしての結束力は強かったですね。

 東海・北信越選抜は、どうしても関東選抜や関西選抜に比べて注目をされない傾向にあります。だからこそ、地方チームが勝つ必要があると思うんです。『デンチャレ』では、僕たち地方のチームの選手は「なにくそ」という気持ちでやっていました。だからこそ、宮崎大会で優勝できたのはとても大きかったと思います」

――当時は大会中、試合後などにGKのための講習会を開催していました。
「そのGK講習会で僕のプレーに目を留めてくれたスタッフがいたと聞いています。特に島原大会のときは、試合に出ていても結果は散々でしたから(笑)。GK講習会がなかったら、自分を見てくれることもなかったと思います。ほかの地域のGKと一緒に練習する機会はめったにないことだから、いい経験になりました。ふだん接しない人と一緒に練習をしたりプレーを見たりすることは、GKにとっては本当に大事なことで、固定概念が変わることもあります。日本代表ではほかのチームのGKと接する機会はありますが、今でも違うチームのGKと一緒に練習することはほとんどありません。とても貴重な機会だったと思います」

――東口選手は島原大会、宮崎大会での活躍が認められて全日本選抜に選ばれ、海外遠征、そして『デンソーカップサッカー日韓(韓日)大学定期戦』に出場しました。
「2007年の韓国開催のときはベンチにいて出場機会がなかったのですが、会場全体が異様な雰囲気で、成すすべなく負けてしまった。これが日本代表だとどうなるんだろう、というくらいの特別な雰囲気だったのを覚えています。

 2008年の日韓戦は国立競技場で試合をして、僕も先発できたのですが相手にPKで先制されて……。そのとき、「これ(PK)を止めたらヒーローや!」って思っていたんですが、結果として決められたのがとても記憶に残っています(笑)。その前の年のアウェーでは負けていたから絶対に勝ちたかったし、ホーム開催だったので日本代表としてのプライドもありました。結果的に勝ててよかったと思います。そうした経験を、大学生の時期にできたのは本当に大きかったと思います」

――大学時代に背負った初めての日の丸の重みはどうでしたか?
「いろいろなことが初めてすぎて、受け止める余裕がなかったというのが正直なところです。まず、自分のプレーをしっかり出さないといけないというプレッシャーもあったし、日の丸を背負うというプレッシャーもありました。もちろん、相手が全韓國大學選抜という点でも意識しました。2008年のときは、『デンチャレ』のMVPが自分だったので、MVPとして活躍しないといけないという責任感もあって……。

 いろいろありすぎて、プレッシャーで押し潰されそうになっていましたね。それまで選抜や代表などに選ばれてない分、どうしたらいいんだろう、という葛藤もありました。ただ、自分のプレーをすることが、チームへのいちばんの貢献になると思って、プライドだけはしっかり持ってやればいいと考えてプレーしていました。

 日韓戦を経験したことで、より『プロ』というものを意識するようになったのも確かです。“プロ”への道が見えてきたのはそこからですね」

――『デンソーカップサッカー』という大会に参加することで、周囲に変化はありましたか?
「むしろ変化しかありませんでした(笑)。福井工業大から新潟経営大に移ったことがまずひとつの変化ですし、全日本選抜に選ばれて、ユニバーシアード大会にも参加して……。子どもの頃からプロになるという目標はありましたが、その道に対してどういう経緯をたどればいいか、ということに関してはまったく無知でした。それが明確になったのが、この時期です。在学中にオファーもいただいて、やっとプロへの道が見えてきたな、と思えた2年間。それが、すべてこの大会から始まりました。この『デンソーカップサッカー』は僕にとってとても大きい存在です」

(取材日:2016年8月7日)

※東口ほか『デンソーカップサッカー』出身のJリーガーのインタビューや、1986年~2016年までの大会全記録を網羅した『デンソーカップサッカー25周年記念誌 Stars Univ.』(1500円)はデンソーカップサッカー試合会場、インカレ会場などで販売しています。通信販売については、全日本大学サッカー連盟までお問い合わせください。


●第32回デンソーカップチャレンジサッカー熊本大会特集

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