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[J内定者の声]「就職に有利」と考えて進んだ大学サッカー…横浜FC内定、法政大DF高木友也は“神の地”で覚醒

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左サイドを駆け上がるDF高木友也

「今まで向こうから欲しいと言ってもらえる存在じゃなかったので、自分を評価してくれることが嬉しかった。ビッグクラブと言うより、自分を評価してくれるところに行きたかった」。法政大のDF高木友也(4年=法政二高)は、来春より横浜FCでプロサッカー選手としての第一歩を踏み出す。

 大学に入学して最初に行った長山一也監督との面談。そこで高木は「銀行員になりたい」という将来像を語った。将来はJリーガーを目指す選手ばかりで構成する集団を指導する指揮官も呆気にとられたという告白だったが、本人は大真面目に「就活に有利にしたい」という理想を描いていた。それほど、自分では現在の姿を思い描くことができないほどの選手だった。

 小学校の時はバディーSCで全日本少年サッカー大会を優勝するなど、エリート軍団の一員だった高木だが、多くのメンバーがJリーグの下部組織に進む中、受験したすべてのセレクションに落ちた。高校進学時も強豪の桐光学園高に進もうとしたが、こちらもサッカーのセレクションで不合格となった。

 高校は勉強との両立を考えて、法政二高に進んだ。「高校でサッカーは一区切り」。そう考えて悔いの残らないようにサッカーに打ち込んだ。すると高校3年生最後の高校選手権で9年ぶりとなる神奈川県ベスト4に入ることができた。そこで新たな道がひらけることになった。

「法政のセレクションを受けるためには、神奈川の選手権でベスト4に入らないといけなかった。それをクリアしたことで練習に来てほしいとなって、最後のひと枠を決めるセレクションに呼んでもらって、その場で合格。40人くらい受けていた中で1人受かればいいセレクションだったんですけど、本当にトントン拍子で決まりました」

 法政二高からは高木とDF宮部大己の2人が合格。「法政大学サッカー部は自分たちにとっては神みたいなもの。誰も行きたいなんて口にしなかった」存在だったが、系列校とのパイプを作りたいという流れもあり、奇跡的に“神の地”でサッカーを続けられることになった。

 ただ最初はレベルの違い、意識の違いに戸惑った。「明らかに自分が下手くそで、昔の日記を読み返すと、辞めたいとか普通に書いてある。入学した3月は本当にきつかった。こんなに力の差があるとは正直思わなかった。全国レベルの差を見せつけられた感じでした」。それでも練習場に足を向けさせたのは、「法政二高を代表している。辞めたら迷惑かかってしまう」という思い。当時を支えてくれた親には感謝してもしきれないと振り返る。


 しかしプレー面ではメキメキと力をつけていった。入学当初はBチームのベンチに入るのがやっとだったが、特にメンタル面の改善に取り組んだことでチャンスを掴めるようになった。「お試しで使ってもらった」という夏の総理大臣杯予選であるアミノバイタルカップで活躍すると、本番の総理大臣杯では35年ぶりとなる優勝を決めたピッチに立っていた。

「銀行員になりたい」と話していた高木の意識が変わり始めたのもこの頃だ。1年生の冬に関東選抜に選ばれると、2年生夏に行った全日本大学選抜のイタリア遠征メンバーにも招集されるなど、大学サッカー界屈指の左SBと呼ばれるようになった。「初めて全日本大学選抜に選ばれた時に可能性を感じました。そこで本気でプロを目指したいと思うようになりました」。

インカレ優勝に貢献

全日本大学選抜に選ばれた

 高木の思いに応えるかのように、Jクラブも関心を強めた。2年生の冬にはセレッソ大阪や大分トリニータ、横浜FCの練習に参加。3年生になると、横浜FCと水戸ホーリーホックから正式な獲得オファーが届いた。その中で、自分を一番必要としてくれるところ、生まれ育った地元横浜のクラブである横浜FCへの入団を決めた。

「横浜FCさんは3年生になってからのリーグ戦を全部見に来てくれていた。自分を評価してくれているところに行きたかった。地元というのもある。小学校の時に横浜FCのちょっとした選抜チームに入っていた。ずっと小さい時から見ていたクラブです」

 横浜FCへの入団内定が発表になってからは積極的に練習に参加するなど、一足早くプロ生活を体感している。中でも30歳以上年上の現役選手であるFW三浦知良には感銘を受けることばかりだ話す。

「私生活で改善することなどを書いてカズさんに提出するのですが、それで半年経った時にやっているかとか、言っていることと違うんじゃないということを言ってくれる。カズさんは目標を大切にする人。試合とかもめっちゃ怒りますけど、誰よりも勝ちたいのが伝わってきます」

 カズのほかにも同じ左利きのレジェンド中村俊輔や松井大輔といった経験豊富な選手が多く在籍するクラブとあって、新たな環境は刺激に溢れているようだ。

「大学で出始めた時も、こいつ誰って平気で言われた。初めて選抜に行った時も友達がいなかった」。そんな状況だったのはたった3年前。今ではSNSにたくさんの質問が届けられるというサッカー選手を夢に見る子供たちの憧れの存在になった。「常に諦めないで挑戦し続ければ、いずれは道が拓ける。自分を信じて、常に自分を追及していければやれると思います」。高木の言葉だからこそ、説得力が増す。

「大学は全員がプロになりたいと入ってくる。当たり前のレベルが上がったことが今の自分に繋がっている。今は新型コロナウイルスの影響で大変ですが、自分に何が足りないかを考えながら練習している。これからも常に目的を持ってやっていきたいと思います」

 次回はレノファ山口FCに内定したFW梅木翼(福岡大)を予定。

※学校の協力により、電話形式で取材をさせて頂きました
(取材・文 児玉幸洋)

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