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「憧れというか、目指していた」J1内定多数の流経大でも注目株だった佐々木旭は川崎Fのオファーを即決

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川崎フロンターレへの入団が内定したDF佐々木旭

 開幕の段階でJ1内定者が5人いる。タレント力は今季の流通経済大の何よりの特長だ。中でもDF佐々木旭(4年=埼玉平成高/川崎F内定)は数多くのJリーグクラブが関心を強めた逸材。実際、昨年末からヴィッセル神戸やモンテディオ山形が正式オファーを出し、ガンバ大阪や浦和レッズを含めた争奪戦になっていた。

 そんな佐々木は数ある選択肢の中で、Jリーグ王者・川崎フロンターレを選んだ。オファーがあったのは今年1月。ただ「大学に入ってからずっと試合を観ていたチームだった。フロンターレに憧れというか、目指していた部分があった」ことで、入団を即決したという。

「いろんなチームがすぐに取りたいと言ってくれていたし、練習参加もなしで話を貰っていた。でもその中で自分に合っているチームはフロンターレかなと思った。あそこでやりたいなという気持ちと、(流経大OBの)守田英正さんがいたクラブ。フロンターレの選手になりたいなと思っていて、現実になって良かったなと思います」


 超無名から這い上がってきた。埼玉県川越市出身。中学まで地元でサッカーを続けたが、中学がドリブル主体のチームだったこともあり、静岡学園高に憧れを持った。しかしセレクションは不合格。そのため実家から通える埼玉平成高に進学するしかなかった。

 スーパーサッカーコースが新設されるなど強化を進める中にいたが、高校時代は選手権埼玉県予選でベスト8が最高成績。それも「くじ運が良かった」と苦笑いで振り返ったように、ほとんど実績を積むことが出来なかった。当然、高卒時点でプロ入りの選択肢はなく、群馬県の上武大からは推薦の話が来ていたが、大学進学先もあまり選べる状況になかった。

 ただ高いレベルでのサッカーを希望した佐々木は流経大への挑戦を決めた。インターハイ予選を見に来ていた流経大の大平正軌コーチに声をかけてもらったことがきっかけだったが、この決断が佐々木の才能を開花させることになる。

 左SBへの転向は大学2年生の時だった。もともとトップ下など攻撃的ポジションを主戦場する選手で、「守備なんかやったこともなかった選手」だったが、それまで左SBを務めていた伊藤敦樹(現浦和)に“似ているから”という理由での抜擢だった。

 しかしそこは持ち前のセンスで対応。対人の強さで守備面をカバーすると、SBからの攻撃参加は相手に脅威を与え続けた。そして翌年、チョウ・キジェ氏がコーチに就任したことも追い風となり、あっという間に欠かせない戦力に成長していった。Jクラブの高評価が佐々木の耳に届くようになるまでも、時間がかかることはなかった。


 今月3日、内定後初めて川崎Fの本拠地・等々力競技場に来場。サポーターの前であいさつを行った。そして「ずっと憧れだった」という中村憲剛氏と一緒に同日の大分戦を観戦をするチャンスを得た。そこでは「とにかく技術を磨け」「パススピードがここではありえないくらい速いから」といった金言を授かったという。「日々の練習から意識してやっていこうと思います」。

 今季の流経大は1分1敗発進。しかし中野雄二監督も試合内容に一定の評価を語ったように、選手たちからもあまり悲観的な声は聞かれない。しかし降格の憂き目に遭った2年前の苦い経験を繰り返さないためにも、白星先行で進めたいところ。大学最終学年への思いを明かした佐々木も、「優勝できる戦力はいる。そこを目指していきたい」と力強く話した。
●第95回関東大学L特集

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