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自分を強くしてくれた背中、これからも追う背中…「かけっこは一番遅かった」“自称・運動音痴”宮本優太はいかにしてプロになれたのか

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「保育園の時はかけっこをしても普通に一番遅かった。今でも跳び箱は出来ないし、卓球とかテニスをやってもいつも友達に負けます」。自称・運動音痴な男は、なぜJリーガーになることが出来たのか。「一番は家族がいてくれたから、支えがあったからこそプロになれたと思っています」。宮本優太は言葉を噛みしめた。

「チーム一走れるのも家族のおかげだと、今思うと思いますね」

 3歳のころから始まったという習慣が、宮本優太の原点だ。雨の日も風の日も、時には外ではしゃぎ回って疲れ切って帰ってきた時でさえ、3歳上の兄と一緒に走りに出ることを欠かさなかった。「やるなら本気でやれ!」。2人のちびっこが走る後ろから自転車に乗った母親の千亜紀さんが叱咤を続ける。“昭和のスポ根アニメ”のような光景が、優太が育った世界では当たり前のように広がった。

 そしてこの“厳しさ”は、優太の運動能力を向上、そして何より最大の武器となる負けず嫌いな性格を形成していった。兄の背中を追いかける毎日。置いてけぼりになることも少なくなく、優太少年はいつも泣きながら走っていたという。「お兄ちゃんも厳しかったので。だからメンタル的にはちょっとやそっとのことでは挫けない、常にポジティブに考えられるようになったと思います」。

 ただこの母の厳しさは「親父」に影響されたものだった。優太が幼いころに両親が離婚。ほどなくして一緒に住むようになった俊也さんを「親父」と呼ぶようになった。今では家族でも笑い話になるというが、当時はとにかく厳格だったと振り返る。

「親父はサッカー経験者で、サッカー選手を夢に見ていた。その夢を僕たち兄弟に託していたんだと思います。自分も20歳を超えて大人の考えになった時に思うのですが、本当の息子じゃない子に、あんなに叱れる親父って本当にすごい。母親にのちに聞くと、自分がやらないと『何でやらせなかったんだ』と怒ったらしい。だから『お父さんに怒られる優太を見たくないから、私がやらせていた』と言っていました」


 しかし優太が兄の背中を追い抜く日は、そう遠くはなかった。小学生のころにはすでに優太は東京都のトレセンメンバーに選ばれ、そして優太だけが中学からクラブチーム(ワセダクラブForza'02)に入団。「その時の自分の実力でプロに行けるとは思わなかったけど、その時には自分がプロに行って、家族を幸せにさせなきゃと思っていた」という。

「クラブチームに行かせてもらった時には責任感、家族としての役割は自分に圧し掛かった感じがあった。高校(流通経済大柏高)に入った時も本当に地域で一番と言われている選手がゴロゴロいたので、ちょっとは気が引けちゃったけど、逆に技術だけじゃ勝てないと思い知ることができたので、何で勝てるんだろうと思った時に体力で勝負しようとすぐに思うことができた。そこでも負けず嫌いが出せて良かったなと思います」


 逆境を力に変えた優太は、卓越したリーダーシップで個性派軍団をまとめていった。3年生でキャプテンに就くと、夏のインターハイで優勝。1年でのプレミアリーグ復帰に導き、冬の全国高校選手権でも準優勝。流通経済大柏史上でも屈指の成績を残した世代のキャプテンとして名を残した。そして進学した流通経済大を経て、プロサッカー選手になるという夢を叶えてみせた。

 親戚で集まっても「あの優太が浦和レッズだもんね」と驚かれるという。「体も小さかったし、本当に何も出来なかった」という幼少期。しかし誰よりも努力した少年期が、未来を大きく変えた。「小さいころの自分から考えると、今の自分がここに立てるのは奇跡。だからこそまだまだまだまだ伸びシロはあると思うし、そういうところでは絶対に負けちゃいけないと思っています」。

 ゴールではなく、勝負はここから。もちろんスタートラインに立ったばかりということは、一番自覚している。今オフの浦和は、ベテランDF槙野智章やDF宇賀神友弥ら功労者が契約満了になるなど、新陳代謝が図られた。チャンスとみる一方で、優太が勝負する右サイドバックには日本代表DF酒井宏樹が在籍。日本一高い壁がそびえ立っている。

 大学の大先輩である宇賀神や、一学年上の先輩であるMF伊藤敦樹と話す機会があったが、いずれも「宏樹は凄いよ」「宏樹くんは凄いよ」と口をそろえたという。ただ優太自身は現状を飲み込んだ上で、開幕のベンチ入り、夏までにスタメン出場というビジョンを立てて、真っ向勝負を挑むつもりでいる。

「開幕からスタメンを取りたいというのはあるけど、そんな簡単な話でもない。でも今年は有り難いことにACLがある。そして夏以降はターンオーバー役ではなく、今日は優太で、来週は酒井選手でと思ってもらえるようなポジションにつきたい。プロに行ったら、よりメンタル的に来ることもあると思うけど、そういうところで負けないことが重要かなと思っています」

 序列の最後方から這い上がろうとする今の姿は、兄の背中を追いか続けた過去の自分と重なる。「家族がいたからプロになれた」という感謝の想いが、これからも背中を押してくれることになるだろう。「日本を代表する選手になることが目標。日本中から愛される選手に、日本中が涙を流してくれる選手になりたい」。これからも地道に課題を克服しながら、理想の“背中”を追う。


(取材・文 児玉幸洋)
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