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U-22日本代表が待ち望んだ“怪物”FWが復帰…筑波大1年FW内野航太郎が大学ルートで得た収穫と課題、福田師王から刺激も

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筑波大FW内野航太郎(1年)

[11.19 関東大学L1部第22節 明治大0-1筑波大 味の素フィールド西が丘]

 世代注目のストライカーが負傷から復帰した。筑波大FW内野航太郎(1年=横浜FMユース)はリーグ最終節・明治大戦で後半36分から途中出場。試合後の表彰式では新人賞も手にした。「(新人賞は)狙っていたわけではないけど、受賞はうれしい。この一年はリーグに出場する試合数は多くなかったけど、前半戦でリーグを戦って、大学の強度やレベルに順応できた」と手応えを語った。

 10月、U-22日本代表のアメリカ遠征に追加招集で呼ばれたが、その先で負傷した。長期離脱していたが、リーグ戦最終節でベンチ入り。後半36分からピッチに出た。その5分後には最前線でゴールを脅かす。MF山内翔(4年=神戸U-18/神戸内定)のPA左へのパスに反応。だが、惜しくも左足シュートはボールに合わず、悔しい表情を見せた。

 6年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。リーグ戦ではわずか13試合出場で得点ランク3位タイに入る9ゴール。小井土正亮監督も「開幕ダッシュは間違いなく内野のおかげ」と称える。天皇杯、茨城県サッカー選手権大会、アミノバイタルカップも含めると、大学初年度で14ゴールも挙げた。

 横浜FMユースのときから世代を代表するストライカーだった。昨年度の高円宮杯プレミアリーグでも21ゴールで得点王。2011年から開催されている同大会において、プレミアリーグEASTでは最多得点記録を樹立した。横浜FMのトップ昇格は自らが選択しなかったというが、改めて当時の決意を口にする。

「プロでは即戦力でやれないということは自分でもわかっていた。マリノスでも感じたし、そう言われたことでもあった。だから、大学でもう一回自分を鍛え直して、大学からプロに行ったときに即戦力でバリバリ出られる選手になりたい」

 さらなる成長の場として選んだ大学で一年戦ってみた。高校時代からプロに行くことを夢見ていたため、「大学レベルに圧倒されるところはなかった」とスムーズにプレーできた。それでも学びは多かったという。「要所要所の体の強さなど、大学サッカーのいいところは強く感じた。前半戦で順応できて、ある程度得点も取れた。自分にとっていい入り方ができた」とシーズン序盤を振り返る。

 まだ12月には全日本大学サッカー選手権(インカレ)が控えているが、大学初年度は及第点だったようだ。「おおむね満足はできないけど、すごく大きい経験ができた。自分として大きく成長できた一年だった。(リーグ戦までで)ちゃんと成長できるいいものだった」と総括した。

 自身が大きな経験として挙げたひとつはU-22日本代表の活動だ。今年5月にはU-20ワールドカップがあったが、U-20日本代表メンバーには選ばれず。しかし9月、パリオリンピックを目指す大岩剛監督体制のU-22日本代表に追加招集で初参加。アジア競技大会ではチーム最年少ながらチーム最多の4ゴールを決め、存在感を示してみせた。

 帰国直後の10月、U-22日本代表はアジア大会メンバーとは異なる人選でアメリカ遠征へ。当初招集されていた選手が怪我で辞退を表明すると、追加招集で呼ばれたのは再び内野。長期に及んだアジア大会を終えた中でも、大岩監督は内野の招集を求めたという。小井土監督もその要求を快諾。「急だったけど、もちろんですと答えました。アジア大会も追加でしたし、本人が成長したいという意欲もある。残った筑波の選手もギラギラしていたので、全然心配なく送り出しました」(小井土監督)。内野は急きょ飛んだアメリカ遠征でも結果を残す。U-22メキシコ戦でしっかりと1ゴールを挙げた。

 内野はその遠征で負傷してしまったが、大岩監督はその後に内野を名指しで称えていた。「結果も出して、彼のパーソナリティも選手に認められていた。前線であれだけ仕事量が多いところで、選手同士の信頼感を得ることはものすごく重要。大学1年生だが、そういうものを持っていると評価をしている」と語る。負傷を考慮して11月の国内遠征は招集されなかったが、「コンディション次第ではチャンスを与えたいと思わせる選手の一人」と再招集をほのめかしていた。

 アジア大会、アメリカ遠征での2連続招集で得たものは大きかった。「アジア競技大会が自分の中ですごく大きな自信になった」(内野)。アメリカ遠征は大岩監督が発足当初から招集していたメンバーが中心だったが、そこでもしっかり持ち味を生かした。「最初からいい雰囲気で迎えてくれて馴染みやすかった。自分のアクションをしっかり見てくれて、自分のアイデンティティを理解して生かしてくれた」。現在、A代表に招集されているFW細谷真大(柏)の存在も大きかった。「力強いという印象でした。アメリカで身近にいた選手がA代表に行ったことで、自分としては遠い存在だったA代表がほんの少し身近に感じた。手が届かない場所ではないと、目線が変わった。そこはポジティブです」と新たな世界に目を輝かせていた。

 この一年で新たなステージを経験し、収穫と課題を見つけた。球際のところでは収穫を得たという。「DFが自分と近いときや、相手を背負いながらのところは、大学でも国際大会でも高いレベルを経験できた。いまは自信を持って、ちょっと余裕がある状況でプレーできる」と力を込める。一方で、課題も挙げる。「相手にブロックを敷かれたり、少なからず警戒されたとき、自分が試合から消えないところや毎試合で得点を取り続けるところは継続しないといけない」と冷静に語った。

 自身の立ち位置を「チャレンジャー」と称する。呼ばれなかったU-20W杯では、同世代のFW福田師王(ボルシアMG)やFW熊田直紀(FC東京)が選ばれていた。18日にはU-22アルゼンチン代表を相手に福田がゴールを決めたが、「もちろん刺激になります。だけど、自分はずっと追ってきた側だった」と悔しさは見せない。「誰かが点を取ったからどう、というわけではない。自分が取り続けて、自分が上に行けるようにやっていきたい」とベクトルは自身に向いている。

 目の前の戦いで真価を発揮し続けるのみだ。「FWですし、自分の特長でもある得点を取る。ずっと得点を取り続けられる選手になるためにも、一日一日を得点にフォーカスしてやっていきたい」。まずは大学サッカーでさらなる高みを目指し、再びパリ五輪をめぐる戦いに参戦する。「U-22でFWといったら内野だよね、と言われる存在になりたい」と虎視眈々と目を光らせていた。

(取材・文 石川祐介)
●第97回関東大学リーグ特集
石川祐介
Text by 石川祐介

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