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FBN密着インタビュー

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「イングランド遠征で(楢崎)正剛が怪我をして、ワールドカップ予選のインド戦で、僕にチャンスが来た」

「(アジアカップは)まだ代表先発に復帰したばかりで、不安というかすっきりしないものを抱えたまま臨んだアジアカップ」

「デンマークか代表かで悩んだ。キリンカップは先発で行きたいと日本から言ってきた。悩んだ。自然の流れにまかせようと思った。キリンカップ→アジアカップ良い流れのままやれた」

「PK戦の覚悟はできていた」

「先に飛ぶこともある。ボールに合わせることもある。最後の一瞬まで我慢することもある」

「3人目逆をつかれたけど思い切り飛べた。あれで吹っ切れた。あのあと完全に相手の動きが見えた。絶対絶命のあの場面で僕には見えていた。(サドンデスに突入中澤佑ニが外す)僕はまったく動じなかった。次をはじいた。どこ見ていたのかな・・・全体の空気を読んでいた。(そして7本目を宮本が決めヨルダンが外す)それでチームはひとつになった」

 “青雲の志”海外に行って一旗あげようという気持ちを持っていた。しかし、ゴールキーパーというポジションの問題なのか能活の場合はあまりよい結果は達成できなかった。しかし、苦悩の連続だった海外での経験は彼を大人にした。そして大人としてワールドカップでの正ゴールキーパーを目指すために日本に帰ってきた。説得したのは2002ワールドカップ日本代表コーチの山本昌邦だ。日本代表の合宿地である静岡県北の丸の支配人清水さんから当時の記念写真を見せていただいたことがある。どの写真を見ても天真爛漫の彼に笑顔はなかった。

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