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“被災者代表”の梁と関口が必死のプレーを披露。「ベガルタコールがあって胸に響いた」

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[3.29 東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ 日本代表2-1JリーグTEAM AS ONE 長居]

 スタジアムにベガルタコールが鳴り響く。その熱い想いに奮い立ち、より一層の力を振り絞った。ベガルタ仙台のMF梁勇基とMF関口訓充が“被災者代表”としてピッチに立った。自らも被災者で練習はまったくできていないが、そんなことは関係ない。サッカー選手としてできること、持っている精いっぱいのプレーを発揮して愛する宮城、東北にパワーを送った。

 Jリーグ選抜の一員として梁勇基は先発し、62分間プレーした。「コンディションが良くないことは自分でも分かっていた。でも、自分のベストを尽くして後悔のないように出し切ろうと思った。地震のあと、すぐに(出身の)大阪に帰ってきた。毎日テレビで、仙台や東北の様子を見ていた。何もできない歯がゆさがあった。こういう機会をいただいたので、東北の方に少しでも力を送れたらいいなと思っていた」という。

 4-3-3システムの右FWでプレーした。慣れないポジションだったが、上下左右に懸命に動き、ボールに絡んでいった。相手は強敵だが、必死さだけは見せたかった。知人らから激励の電話が力になった。「自分が試合に出ることで、東北の人も喜んでくれると言われた。一人でも喜んでくれる人がいるなら」。

 小野伸二や小笠原満男、中村憲剛ら元日本代表メンバーとパス交換を繰り返した。対面はインテルの長友佑都で、そのほかにも欧州組がズラリとそろったが、日本代表に果敢に挑んでいった。「もう二度と、一緒にできないようなメンバーとやれた。それは良かったです」と梁勇基は振り返ったが、必死さだけでなく、楽しそうにプレーする姿は、被災者を元気づけることに役立ったといえる。

 関口は後半17分から小野に代わってピッチに入った。4-4-2システムの左MFに入り、積極果敢なプレーを見せた。「試合前からベガルタコールがあって胸に響いていた」。試合前からスタジアムでは、ファン・サポーターが歌う仙台の応援歌が鳴り響いた。関西の、いや日本中のサッカーファンが東北を応援してくれていることを全身で感じ取った。自分も負けられない-。声援に一層、奮い立った。プレーで恩返しをしたい、東北の人に勇気を与えたいと思ってピッチに飛び出した。

 後半29分にはPA内左で、MF原口元気のスルーパスに抜け出した。スピードを生かしてDFラインを振り抜き右足でシュート。惜しくも右に外れたが、Jリーグ選抜としてこの試合最初のビッグチャンスをもたらした。「自分が決めていたら、カズさんのゴールで同点となって、もっと盛り上がったと思う」と悔しがったが、「見ている人に少しでも感じてもらえたら、うれしい。一生懸命やる姿勢を見せられて良かった」と振り返った。

 2人にとって、被災地支援はこれがスタートに過ぎない。今後も様々な形で復興の力になるつもりでいる。その一番はやっぱり、サッカーだ。梁勇基は「これからもできることをやっていきたい。Jリーグを盛り上げて、東北のみなさんにパワーを送りたいです」と意気込んだ。

 関口は「スポーツ界がしっかり、宮城県を盛り上げていくことで勇気や元気を与えられると思う。地域も活気が出てくると思う。そのためにも再開するJリーグでは上位に食い込みたい。優勝争いをして、ACLの出場権を取れるように頑張りたい」と宣言した。まさに心ひとつに、仙台を東北を盛り立てて行く。再開するJリーグで活躍し、被災者に勇気を届ける。2人の新たな挑戦が始まった。

[写真]被災者へのメッセージ入りシャツを着た梁

(取材・文 近藤安弘)

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