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神戸を残留に導いた33歳吉田の魂の2発、「サッカーの神様を信じた」

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[12.4 J1第34節 浦和0-4神戸 埼玉]

 ヴィッセル神戸が奇跡を起こした。最終節での逆転残留。試合終了の瞬間、ピッチ上にできた歓喜の輪の中、選手たちは男泣きしていた。

 殊勲の2得点を挙げたFW吉田孝行は「自分でも奇跡としか思えない。試合の何日も前からいろいろ考えていたけど、こんなことが起こるなんて信じられなかった。サッカーの神様を信じてやっただけ。本当に奇跡です」と目を潤ませながら話した。

 勝っても、F東京の結果次第では降格が決まる試合だった。残留できるかは他力という状況。それでも、選手たちは目の前の試合に集中し、ゴールだけを目指した。

 「うちは勝たないと残留できないし、何も起こらない。そういう意味では、プレッシャーは東京の方があったと思う」。前半31分、相手のクリアミスを見逃さず、貴重な先制点。「グラウンドがフィットしなくて、(小川)慶治朗もガチガチで。そんな中の点でチームに“行ける”という自信を与えられた」

 値千金の一発で前半を1-0で折り返すと、後半立ち上がりも果敢に2点目を狙いにいった。「守ることは全然考えていなかった。守りに入ったらうちは絶対に負ける。攻撃的にプレッシャーをかけよう、2点目、3点目を狙おうとみんなで話していた」

 神戸の気迫とゴールへの執念が浦和を凌駕した。後半7分、MF小川慶治朗が獲得したPKのチャンス。通常、PKのキッカーはFWポポだが、吉田が志願してペナルティースポットに立った。

 「ポポは強いキックを蹴る。もしかしたらGKに読まれることもある。自分はGKの動きを見て蹴る。自信があったし、ダメもとでポポに言ったら蹴らせてくれた。ポポに感謝です」

 GKの動きをよく見た冷静なキック。2-0と突き放し、試合を決定付けた。後半14分にはMF朴康造、ロスタイムには小川が加点。後半36分にベンチに下がっていた吉田はF東京が0-2で負けているのを知っていた。試合終了の瞬間、勢いよくベンチを飛び出し、チームメイトに抱き付いた。

 10月2日の第25節・川崎F戦に0-4で敗れ、降格圏の16位に転落した。そこから悪夢の3連敗。崖っ縁に追い込まれたチームは、続く10月30日のG大阪戦前に選手だけで集まった。「みんなでミーティングして、それぞれ言いたいことをぶつけ合った。そこでひとつになれた」と吉田は振り返る。G大阪戦に4-2で快勝し、11試合ぶりの勝利を飾ると、それ以降は7戦負けなし(4勝3分)。怒涛の追い込みだった。

 とはいえ、11月14日の新潟戦(1-1)、20日の鹿島戦(0-0)、23日の大宮戦(2-2)は3試合連続のドロー。勝ち切れない試合が続き、負けていないことよりも勝てないことが選手を苦しめた。吉田は「自分は鹿島戦、大宮戦と出られなくて、そこでチームも勝ち点3を取れなくて責任を感じていた。大宮戦に引き分けたとき、残留はなくなったと思った」と言う。残り2節。F東京との勝ち点差は3に広がっていた。

 得失点差の関係で、残り2試合でF東京が1勝でもすれば、神戸の残留は絶望的となる。吉田があきらめに似た気持ちを抱くのも当然だった。第33節、神戸は清水に1-0勝利。残留に望みをつなぐと、遅れて試合を行ったF東京は終盤の失点で勝ち点3を逃し、1-1の引き分けに終わった。

 「テレビで東京の試合を見ていた。1-0のままだったら、うちらの残留はなくなっていた。それが最後に1-1になって。本当に奇跡だと思った」

 風向きは完全に変わった。この日、神戸は4得点の快勝。一方のF東京はすでに降格の決まっている京都に0-2で敗れた。

 大逆転の残留劇。吉田は横浜Fが横浜Mに吸収合併された98年のことを思い出していた。「あのときとちょっと似ているかもしれない。あのときは残り9試合、全部勝った」。合併発表後のリーグ戦残り4試合は4戦全勝。さらに天皇杯も5連勝を飾り、頂点に立った。99年元日、清水との決勝でゴールを決めたのが吉田だった。

 「今回は引き分けもあって、今回の方がきつかったけど、あのときの経験が生きたのかなと思う。それにヴィッセル神戸がなくなるわけじゃない。それは全然違う」

 来季は再びJ1の舞台で戦える。残留したことだけで満足するわけにはいかない。「シーズン序盤からこういうサッカーをやらないと。強いチームになるには、こういうサッカーを1年間通してやらないといけない」

 さまざなチームでベテラン選手が戦力外通告を受ける中、33歳の吉田が見せた魂の2ゴール。ラスト7試合のうち負傷欠場した2試合を除けば、5戦4発だった。「すべての神戸の関係者、サポーター、選手、スタッフがひとつになった。それが残留の要因だと思う」。そう胸を張ったこの男がいなければ、神戸の残留はあり得なかった。

[写真]神戸FW吉田

(取材・文 西山紘平)

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