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[MOM124]関西大FW藤澤典隆(4年)_「関大の核弾頭」涙の2発

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[大学サッカー・マン・オブ・ザ・マッチ]
[12.26 全日本大学選手権準決勝 関西大 2-1 筑波大 平塚]

 試合後、2発で勝利をもたらした主将は感極まって泣いていた。「160人の部員をひとつの方向に向かせることが難しくて。その思いがこみ上げてきて泣いてしまった」。
 
 後半30分過ぎまで0-1。ただ誰もあきらめてはいなかった。特に思いが強かったのは、試合・練習への姿勢と責任感の強さから主将に推されて大所帯のサッカー部のまとめ役を務めてきたFW藤澤典隆(4年)。年代別日本代表経験者でもポジションはおろかベンチ入りも保障されない選手層の厚いチームをひとつにしてきた主将が、負ければ引退となる一戦でチームを蘇らせた。

 後半16分には会場もどよめく圧巻のコントロールから左足シュート。ただ「焦ってしまった」とシュートはゴール上方へ外してしまう。それでもこのシュートミスにより「冷静に落ち着いていこう」と、逆にプレッシャーを吹き飛ばしたFWは34分、途中出場のFW安藤大介(2年)の折り返しを右足インステップで押し込んだ。そして39分、SB櫻内渚の右クロスに反応すると渾身のダイビングヘッド。160人の部員の思いを乗せた一撃は好守を連発していた筑波大GK三浦雄也の指先を抜けてゴールへと突き刺さった。

 冷静な主将は切り替えも上手かった。思うようなプレーのできなかった前半から、後半は馴染んでなかった新品ストッキングと、破れていたスパイクを思い切ってチェンジ。切り替えて臨んだ後半はひとりでシュート7本を放ち、チームを最前線で引っ張った。そして「関大の核弾頭」は同点、勝ち越しの2発。「オレらはチームの代表だし、責任持たなければならない」とガソリンが尽きるまで走り続け、勝利とともに感動の涙を流した。

 全国の大学チームのなかで勝者として年越しするのは、関大と中京大のふたつだけ。1967年に全日本大学選手権優勝を果たしている歴史ある関大サッカー部の主将は、それ以来の日本一を懸けて臨む決勝に「ボクは1年のときから出してもらっているけど、ここまで来たのははじめて。自分の悔し涙で終わりたくない。きょうの勝利で満足することなく、(関大サッカーの)集大成をみせたい」。関大サッカー部の主将として臨む最後の公式戦でチームに43年ぶりの歓喜をもたらすことを誓った。

(取材・文 吉田太郎)
第59回大学選手権特集

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