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俊輔、途中交代に悔い。「最後まで出たかった。何か残したかった」

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[8.6 J1第20節 柏2-0横浜FM 柏]

 悔しさが込み上げてきた。横浜F・マリノスのMF中村俊輔は後半44分に途中交代。今季2度目の完封負けを喫したが、主将は試合終了の瞬間を、ピッチで迎えられなかった。「最後、代えられたのは悔しい。調子も悪くなかったし、最後、セットプレーもあったかもだし……。きょうに関しては、最後まで出たかった。何か残したかった。1-2でも違うし……」と唇を噛んだ。

 その理由はもちろん、4日に亡くなられた松田直樹さんだ。1997年の横浜M入団から、お世話になった大先輩だ。思い出は数えきれないほどある。不調の時は叱咤激励を受け、食事に連れて行ってもらったこともしばしば。欧州に移籍した時も電話で何度か「早く帰ってこいよ。お前と一緒にサッカーしたい」とうれしい言葉を受けた。昨年の南アフリカW杯でスタメンから外れた際には「お前がいないとつまらない」と励まされた。挙げ切れないほどの思い出、感謝の想い……。それをまず、この試合でぶつけようとした。

 しかし、立ち上がりから柏のペースで試合が進み、俊輔は守備に追われた。睡眠不足でコンディションは万全ではなかったが、必死に走った。攻撃では持ち味の左足で見せ場を作った。後半35分には直接FKでゴールを狙った。惜しくも右ポストに叩かれ、ゴールを割れなかった。そして後半44分に無念の交代となった。ロスタイムを入れて残り約5分間ほど。その時間まで、粘れなかったことが悔しかった。松田さんのためにも、最後までピッチに立ち続け、一矢報いたかった。

 ファンタジスタが、コンディションが良いとは言えない状況の中、泥臭く戦ったのは、松田さんの影響だ。「家に行ったら、部屋の壁に『努力』と書いてるのを張ってあった。テレビのとこに置かれてたDVDを見てみたら、去年のマリノスの試合のプレー集で(松田さんが)ドリブルで攻め上がって行っているのとかがあった」。

 松田さんの死去を受け、元チームメイトの元日本代表FW城彰二さんやFW安永聡太郎さんらと松本市内の松田さんの自宅を訪れた。そこで見つけたのは、松田さんのサッカーへの想いや、尽きることの無い向上心だった。「最後まであきらめない姿勢をみせていく。マツさんもやってきたことだから」。俊輔も改めて初心に帰り、がむしゃらさを見せた。

「みんな気持ち入ってた。ただ今日だけじゃない。これからそういう試合が続かないといけない。今年のリーグ戦が終わったときに、良い報告をしたい」と俊輔は改めて優勝を目標に掲げた。それは松田さんの“指令”でもある。7月19日に女児が生まれたとき、携帯のメールに「子供4人目か、すごいな。優勝しろよ」などと書かれたメッセージを受けた。俊輔はその“遺言”を左足で叶える。

[写真]途中交代の中村

(取材・文 近藤安弘)

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