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[連載]被災地からのキックオフ~コバルトーレ女川の奮闘記~(vol.2)

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今連載はフリーライター佐藤拓也氏の“サッカー復興”へ少しでも力になりたいという使命感からスタート。「多くの人の命、生活が津波によって奪われた中、それでも町のために戦おうとする彼らの姿、その軌跡を、僕は1人のサッカーライターとして追わずにはいられなかった……」

「必ず来年活動する」

 近江弘一GMはそう宣言したものの、トップチームの活動再開のメドは立たなかった。震災前まで練習で使っていたグラウンドは自衛隊のキャンプや仮設住宅として利用され、使用できない状況が続いた。生活することで精いっぱいで、「本当に再開できるのか」と選手たちが不安に思うのも無理はなかった。

 元々、サッカーのために女川町に来た選手たちである。サッカーができるかどうか分からないまま、水産加工会社で働く日々に疑問を抱くのは当然のことだろう。

 そうした中、女川を離れ、他のチームに活動の場を移す選手も出てきた。ただ、彼らは決してコバルトーレを見捨てたわけではない。いずれの選手も「コバルトーレのために」という思いを胸にチームを離れたのであった。

 その中の1人、JリーグやJFL、地域リーグのクラブに自らを積極的に売り込み、JFLのV・ファーレン長崎への移籍が決定した中島礼司は胸の内をこう語る。

「こうして何もしないでいるのが、コバルトーレのためになるのかなということを考えたんです。逆にこの機会をチャンスととらえ、少しでもレベルの高いチームでプレーして、その経験をコバルトーレに還元できればと思っています」

 女川のためにチームを去り、そして、必ず1年後に女川に帰ってくる。確固たる決意とともに町から離れて行った。

 女川に残った者たちの使命は、サッカーの火を絶やさないことであった。クラブ発足以来、大切にしてきたのはトップチームの強化だけではない。地域貢献やサッカーの普及育成に力を入れてきた。だからこそ、コバルトーレはトップチームを活動休止にしても、育成カテゴリーの歩みを止めることはしなかった。震災から1カ月後に活動を再開させた。

「子供は1年間活動しないと選手としてダメになってしまう。とにかく好きなサッカーをさせてあげて、元気にしてあげたかった」とU-18チームの監督を務める檜垣篤典は語る。

 地域の子供を大切にする――コバルトーレの理念がそこに表れていた。津波に家を流されてしまったり、避難生活を余儀なくされ、多くの子供たちがサッカーどころではなかったのが実情である。しかし、子供たちとサッカーをつなぎとめたものは「サッカーの絆」であった。

 クラブハウスの2階に上がると、たくさんのユニフォームやスパイク、サッカーボール、さらにはランドセルまで積み上げられていた。それらはすべて、コバルトーレの状況を知り、全国のサッカー仲間が贈ってきてくれたものだという。

 そして、6月にはコバルトーレ女川U-18がクラブユース選手権東北リーグに参加。なんとそこでクラブ史上初となる東北決勝リーグに勝ち進んだのである。

 震災から1カ月間のブランクがあり、さらに毎日1時間程度しか練習ができない環境に加え、「精神的なショックが大きく、サッカーに集中ができないところがある」(檜垣)状況での快進撃。決勝リーグでは6位に終わったものの、1勝を挙げる健闘を見せた。

 それもクラブが地道に強化してきた証である。今年の高校3年生はU-15を立ち上げた時の一期生。5年間、選手たちを鍛えてきた成果が結果となって表れたのだ。

 その彼らが身にまとっていた真っ白なユニフォームも「サッカーの絆」であった。荷物車が津波に流されてしまったため、ユニフォームがなく、当初は大会への出場自体が危ぶまれていた。

 震災後、女川町の被災状況を知り、その町にコバルトーレ女川という地域に密着したサッカーチームがあることを知ったイギリス人が同国で支援活動を行い、集まった義援金がクラブに送られてきた。そのお金でユニフォームを新調できたことにより、大会に出場することができた。

 国内だけでなく、国外までつながる「サッカーの絆」に、コバルトーレ女川を支えられたのだ。「あらためてサッカーのすごさを知りましたね。これだけ多くの人に支えられて、僕らもやるしかないという気持ちです。必ず恩返ししたいですね」と檜垣は誓った。

 毎日、石巻市のコバルトーレトレーニングパークからは子供たちの笑い声とボールを蹴る音が響き渡っている。だが、震災から5カ月を過ぎた8月27日、その日ばかりはグラウンドの光景はいつもと違った。大人たちの活気にあふれた声が聞こえてきたのだ。

 女川町の社会人チームとコバルトーレ女川との練習試合が行われたのである。震災後、お互い練習もしておらず、人数も11人揃わない状況。グラウンドも小学生用の広さであり、“本気”とはいかなかった。それでも震災後初となる試合だけに、両チームの選手ともに思う存分サッカーを楽しんだ。

「数えきれないぐらいゴールが入りましたね」。檜垣からも笑みがこぼれた。

 それは待ちに待った瞬間であった。トップチームがついに来年に向けて動き出したのだ。そして、9月から毎週月曜日に練習を再開することが決定。10月からは平日は毎日練習する予定となっている。まだ練習場の確保すらできていない状況である。それでも「前に進まないといけない」という使命感がチームを動かした。

 震災から半年が経ち、女川の町もだいぶ変わりつつある。町を覆っていたガレキは撤去され、ビルの上に乗っかっていた車や町の中に横たわっていた漁船や鉄道車両も姿を消した。さらに町中に駐留していた自衛隊もいなくなり、プレハブの店も現れた。町は前に進もうとしている。だからこそ、「町とともに生きる」クラブが立ち止まっているわけにはいかないのだ。

 当面は小学生用の大きさのトレーニングパークで練習をする予定だが、今後は女川町と石巻市以外のグラウンドを使うことも視野に入れて活動していくという。

「震災を受けて、今、我々は前に走りだしている。とにかくできることをやるしかない」。近江GMは強い口調で語る。

 もう下を向く時期は終わった。復興に向けて進み出した町とともに、コバルトーレ女川は希望へと走り出した。

[写真]イギリスから送られてきた義援金で買いそろえたユニフォームを着て戦うU-18チーム。初の東北決勝リーグに進出する偉業を成し遂げた

(取材・文 佐藤拓也)

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