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[連載]被災地からのキックオフ~コバルトーレ女川の奮闘記~(vol.4)=近江GMインタビュー後編=

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今連載はフリーライター佐藤拓也氏の“サッカー復興”へ少しでも力になりたいという使命感からスタート。「多くの人の命、生活が津波によって奪われた中、それでも町のために戦おうとする彼らの姿、その軌跡を、僕は1人のサッカーライターとして追わずにはいられなかった……」

 コバルトーレ女川のGMを務めているのは、震災直後、手書きによる6枚の壁新聞を発行し、世界的に注目を浴びた石巻日日新聞の社長・近江弘一氏である。今回は近江GMのインタビュー後編。テーマは「これからの女川の町づくりについて」です。

-女川町の今後の町づくりをどうするかというところで、スポーツを中心とした町づくりをするチャンスでもあるのかなと思います。
「そうですね。スポーツを中心とした町づくりは実際にテーマとなっています。コバルトーレを作った目的はそこにありますから、僕らのやることは特別変わりません。震災前も人工芝のグラウンドを2面作って、スポーツ合宿をできる場所にしようという計画があったんですよ。今回、津波によって町は大きな被害を受けたわけですが、逆に新しい計画を立てやすくなったということはありますよね。女川はJR石巻線の終着駅なので、目的がないと人は来てくれません。終着駅としてのマーケティングを考えていくことが大事ですね。そういう意味で言うと、必要なものが何なのかをしっかりと決めないといけないんです。漁業ならば漁業。スポーツならスポーツ。そういう柱が必要なんだと思います。町に来る目的がはっきりしていれば、サービスの仕方も分かると思うんですよ。これからの町づくりでは、そういうものを作ることが大事だと思います。震災前は5年計画で考えていましたが、震災によって急な問題になってしまった。5年後が目の前に来てしまった感じですね」

-これから新たな町づくりがはじまるのですね。
「いろんな話し合いが行われている最中です。スポーツ観光と水産や海をテーマにした観光と、原発があるけど安全な町ということをテーマにすべきでしょうね。世界の安全会議を開催するぐらいの町になってもらいたいと思います。ただ、モニュメントとして津波で倒れたビルは残しておくべきだという話はさせてもらいました。クラブの事務所も倒れてしまったわけですが、そのビルも残すこととなりそうです。あの倒れ方は建築的に非常に貴重らしいですね。過去に津波でああいう倒れ方をした例というのはないそうで、研究対象として非常に重要なのだそうです。僕は今53歳なので、あと10年もしたら、リタイアですよ。なので、今のうちに言えることは言っておこうとは思っています」

-町づくりがはじまる今しか言えないですからね。
「ちゃんと理路整然としてれば、言った者勝ちなところはありますね。たとえば、学生のチームが来たならば、震災のモニュメントを見てもらったり、原発に関しての説明をしたり、震災について学ぶこともできると思うんですよね。いろんな要素がこの町にはあるんです。そういう意味で、非常にいい町づくりができると思っています。我々にとって大切なのは箱モノをつくることではなく、コバルトーレの活動やスポーツ文化を作って観光に結び付けることだと思います。決して立派なスタジアムを作ろうとしているわけではないんです。人口も震災前よりも減りますし、公務員も減ることになると思います。なので、施設は運営委託として民間で運営することになるでしょうね。もしそこにコバルトーレが携わることができれば、インパクトの強いメッセージを出していきたいとは思っています」

-復興に向かう町として、対外的にメッセージを出せるツールとしてコバルトーレは町にとって大きな存在となりますよね。
「僕らが提案しているのはサッカーだけでなく、バスケットボールをはじめとするいろんなスポーツが『コバルトーレ女川』という名前で活動することなんですよ。アルビレックス新潟に似ていますが、エンブレムを統一してプレーすることで、対外的にいろんな発信ができると思うんですよね。いろんなスポーツを通して、町を活性化させていきたいと思っています。また、来年に向けてユースから1人トップに昇格することが決まりました。そういう生粋の女川育ちの選手が増えれば、地に足がついた地域クラブになれると思っています。そういう選手が町の中で働きながらプレーする。地域の中で循環して、文化作りに携わることができれば、一石二鳥なんですよね。そうなると、町に一体感が出てくる。町民が試合を楽しみにしてくれる。そんないいクラブに絶対してやろうという気持ちでいっぱいです」

-現在トップチームは活動していませんが、来年に向けての運営費は大丈夫なのですか?
「スポンサーの水産加工会社・高政さんから広告宣伝費として支援していただいています。震災後、いろんなメディアに取り上げていただき、だいぶ宣伝することができました(笑)。社長さんも『やっと元を取れた』と喜んでもらっています(笑)。現在も選手を働かせてもらっていますし、本当にありがたいですね。あるメディアのインタビューで『コバルトーレはこれからもやっていくんですか?』という質問に対して、高政さんの社長さんは『そりゃ、そうだろう。俺と近江GMの気持ちが変わらない限りは続くんだよ!』と言ってくれたんですよ。それを聞いて、とてもうれしかったですね。僕も社長さんも気持ちが変わることはないでしょうね」

-今後の目標に関して、やはりJリーグを目指すのですか?
「ある以上は目指すでしょうね。どこのクラブだって、どこの国だって、5部や6部まであるわけですよ。今、セリエAで戦っているクラブでも以前は4部ぐらいに所属していたチームもありますよね。そういうことを考えると、我々でもできるんじゃないかと思います。最初から『有限会社』として運営しているのも、そういう目的があるからです。カテゴリーが上がってから、急に会社組織を変えるのではなく、今からJリーグの規格の中でできるように会社として経理の責任をしっかりさせています。Jリーグは一番先の目標として、常に置いていますよ。ただ、クラブがJリーグに行かなくても、育成アカデミー出身の選手がJリーガーになったりすることでもいいと思うんですよ。やるからには常にトップを目指す。そういう気持ちでやっていかないといけないと思っています。こうして津波で被害を受けた町から立ち上がってJリーグに上がったら本当のドラマですよね。これからが本当に楽しみですよ」

[写真]津波の被害を受けたコバルトーレの選手寮。この付近にスポーツ施設を作る計画が立てられているという

(取材・文 佐藤拓也)

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