beacon

[連載]被災地からのキックオフ~コバルトーレ女川の奮闘記~(vol.6)

このエントリーをはてなブックマークに追加


今連載はフリーライター佐藤拓也氏の“サッカー復興”へ少しでも力になりたいという使命感からスタート。「多くの人の命、生活が津波によって奪われた中、それでも町のために戦おうとする彼らの姿、その軌跡を、僕は1人のサッカーライターとして追わずにはいられなかった……」

「滝沢が描く大きな夢」

 震災から1か月後、近江GMは選手全員を集めて、今後のクラブの方針を伝えた。そこでMF滝沢陽介は近江GMに食ってかかった。「今年は活動を休止するが、来年は活動をやろうと思う」。近江GMのその言葉が滝沢には引っかかった。

「『やろう』と『やる』では違うと思ったんですよ」。そして、「今年、サッカーをやってはいけないことは分かっています。でも、命をかけてチームを守ってほしい。『絶対にやる』と言ってください」と近江GMに詰め寄った。

 それに対し、近江GMからは「そんなこと、お前に言われなくても分かっている」と強い口調で言い返された。さらに滝沢は「来年活動を『やる』と決めてくれたら、僕は絶対に戻ってくる。僕らも命をかけて戦うから、それに応えてほしい」と言うと、近江GMは「分かった。約束する」と断言した。「その言葉は、今までの近江GMの約束の仕方と違って、重みがありましたね(苦笑)」(滝沢)。その言葉を信じ、滝沢は活動を再開する来年に向けて、ひとまず故郷に戻ってサッカーを続けることを選択した。

「来年は女川に戻る」。そう決意する滝沢に対し、周囲は理解を示さなかった。「なぜ、わざわざ被災地に戻る必要があるのか」。家族や友人など、首をかしげた。「おそらく、あの日、あの時、女川にいた人だけしか分からないと思うんですよ」と滝沢は苦笑いする。

 滝沢の脳裏にはあるシーンが焼き付いている。

 震災直後、滝沢は女川町民が運転するトラックに乗って給水作業を行った。町のあちこちを回り、給水をするのだが、ある時トラックが細い路地に入ろうとすることに滝沢は疑問を持った。

「そんな場所に給水場はないはず」。滝沢はそう思ったが、トラックはどんどん奥地へと進んで行く。すると、一軒の家があったのだ。そして運転手は滝沢にこう言った。「あそこにおばあちゃんが住んでいるんだよ。若いときに旦那さんを亡くして、今は一人ぼっち。足も弱っているから給水場まで来られない。だから、家まで行って、俺らが水を汲んであげないといけないんだ」。滝沢が「なんでそんなことを知っているんですか?」と問うと、運転手はこう答えた。「女川に住む人、みんな家族みたいなものだからよ」。

 その言葉は滝沢にとって衝撃であった。「女川町の絆や温かさをものすごく感じたんですよね。その後、言葉の意味を考えたとき、自然とこみ上げてくるものがあったんです。そして、女川という町に来てよかったと思うし、女川という町にサッカーチームがあってよかったと本当に思ったんです。そこで『女川でサッカーを続けたい』という気持ちが自分のなかではっきりしたんです」。

 そして、滝沢はコバルトーレの“これから”について、楽しそうに語り出した。

「津波の被害に遭った小さな女川という町にJリーグチームなんてできないって、誰もが思っていると思うんですよ。でも、近江GMも僕も諦めてないんですよね。僕が現役のうちにコバルトーレがJリーグに行く可能性は極めて低いと思います。でも10年後か20年後か30年後か分かりませんが、コバルトーレがJリーグに行くためのたすきをつなぐ役割を僕は果たしたいんですよ。そのために戦い続けようと思っています」

 滝沢の言葉は現段階では“夢物語”にしか聞こえない。しかし、信じることを諦めたら“夢”は絶対に実現しない。壊滅的な被害を受けた町が復興するためにも“夢”が必要なのだ。コバルトーレが追う夢はきっと町の復興への大きな力となるに違いない。

「女川に来て、僕は変わったと思います。地域の人たちが僕たちを変えてくれたんです。だから、サッカーを通して、これから恩返しをしていきたい」

 すべては女川のために――その魂とともに、滝沢は埼玉の地から女川の未来を見つめている。

[写真]一昨年、東北社会人1部リーグ昇格を、サポーターと一緒に喜んでいるもの

(取材・文 佐藤拓也)

連載コラムvol・1
連載コラムvol・2
連載コラムvol・3
連載コラムvol・4
連載コラムvol・5
写真特集vol・1
写真特集vol・2

TOP