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[MOM560]尚志MF金田一樹(3年)_靭帯損傷の左足で芸術ダイレクトボレー

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[高校サッカー・マン・オブ・ザ・マッチ]
[1.5 全国高校選手権準々決勝 桐生一1-3尚志 埼玉]

 痛みも忘れていた。痛々しいテーピングが巻かれた左足を迷わず振り抜いた。尚志(福島)は1-0の前半31分、DF峰島直弥(3年)の左クロスをMF金田一樹(3年)が倒れ込みながら利き足の左足でジャンピングボレー。「逆サイドでフリーでいて、呼び込んだところにボールが来た。シュートを打ったときはどこにいったか分からなかったけど、起き上がったら入っていた。無我夢中でした」。芸術的なボレーシュートがチームを初のベスト4に導く決勝点になった。

 左足には今も痛みが残る。12月上旬に左膝内側側副靭帯を損傷。高圧酸素カプセルに通い、懸命に治療を続けたが、「ぎりぎり間に合うかどうか」と言われた今大会に入ってからも左膝はテーピングで固められ、痛み止めの薬も飲んでいる。「試合が続いて、膝がゆるくなっているのは感じる。でも、あと少しなのでがんばりたい」。金田が悲壮な覚悟を見せるのには理由がある。

 F東京U-15深川でプレーしていた中学3年時。高円宮杯第20回全日本ユース(U-15)選手権準決勝・レオーネ山口U-15戦(4-0)で先制点を決めた金田は、累積警告による出場停止のため、国立競技場で行われた決勝に出場することができなかった。チームは新潟JYに1-0で競り勝ち、初優勝を飾ったが、国立でプレーすることも、優勝の瞬間をピッチで迎えることもできなかった。

「やっと夢が叶うという気持ちです。中3のときは決勝まで行って、累積で出られなかった。まだ実感はないけど、国立のピッチに立ったら、実感も沸くと思う」

 千葉市出身の金田は父・英樹さんが仲村浩二監督と小学校時代の同級生だった縁もあり、中学卒業後、尚志へ進学した。昨年3月11日の東日本大震災時は「練習前で下駄箱の前にいた」といい、数日後、“越境留学”している他の部員とともに仲村監督の運転するマイクロバスで実家へ帰った。

 チームは3月27日から4月4日まで仲村監督の母校である千葉・習志野高のグラウンドで練習を再開。震災直後は「放射能の問題とかも騒がれていて、もう一回福島に帰ってサッカーができるのかな」と不安を抱えていた金田だが、習志野合宿で久々にチームメイトと再会し、「みんなとサッカーをやれる楽しさを思い出して、またサッカーがやりたいと思った」と決意を固めた。

 両親からも「がんばれ」と激励され、戻ってきた尚志サッカー部。「震災を通して、いろんな人に支えられていたんだなということが分かった。今年1年、その感謝の気持ちを持ってプレーしてきました」。福島県の歴史を塗り替え、目標の日本一まであと2つ。あこがれのピッチで、思いのすべてをぶつけるつもりだ。

(写真協力『高校サッカー年鑑』)

(取材・文 西山紘平)

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