beacon

[大学選手権]出場停止4人も「変わった」中大が、復活V(筑波大vs中央大)

このエントリーをはてなブックマークに追加

[1.11 第57回全日本大学サッカー選手権決勝 筑波大 1-2 中央大 国立]

 11日、東京・国立競技場で第57回全日本大学サッカー選手権決勝が行われ、中央大(関東4)が筑波大(関東3)に2-1で逆転勝利。1992年以来16年ぶりの大学日本一に輝いた。

 「やったぞー」。試合後、佐藤健監督の雄たけびが会場中に響き渡った。毎年定期戦を行っているライバル・筑波大を破っての日本一。同じく筑波大と決勝を戦った28年前の1980年度決勝で佐藤監督はGKを努めていたが、引き分けて両校優勝に終わっていた。準決勝終了後に「決着をつけたい」と語っていた指揮官の喜びも大きな全国制覇となった。

 中大の16年ぶりVは危機を乗り越えてつかんだ栄冠だった。この日はGK小野博信(3年=韮崎高)、DF山田佑介(3年=川崎F U-18)、永木亮太(2年=川崎F U-18)、そしてチームの柱であるDF山形雄介主将(4年=FCみやぎバルセロナユース)の4選手が出場停止だった。迎えた試合では押し気味に進めながらも29分にオウンゴールで失点。展開は最悪だった。
 それでも35分、左CKを二アサイドへ走りこんだDF新井辰也(3年=日野台高)が頭で後方へとそらす。すると、ファーサイドへ飛び込んだFW新田圭(2年=桐光学園高)が右足で押し込み同点に追いついた。さらに39分には中盤でパスを受けたMF櫛引祐輔(3年=青森山田高)が強烈な右足ミドルをゴールへと突き刺し、勝ち越した。

 相手は関東1部リーグで最多タイの51得点(22試合)をマークしている筑波大。得点力の高い相手だったが、この日、山形に代わりキャプテンマークをつけたMF南木享(4年=帝京高)が「セカンドボールを拾えば相手はつなげないのは分かっていた」と振り返った通り、相手にこぼれ球を全く拾わせず、逆に中大が2次、3次攻撃を繰り返した。出場停止選手の不在を感じさせず、シュート数も21対7。追加点こそ奪えなかったが、ほとんどの時間で主導権を握り続けての勝利で、佐藤監督も「最高の試合をやってくれた」と手放しで選手たちを讃えていた。

 関東1部リーグ最終節にインカレ出場権を獲得し、一戦ごとにたくましさを増してつかんだ大学日本一。7回目の優勝から8回目の優勝まで16年がかかったが、今回の優勝は「名門復活」へ向けて大きなタイトル奪取だった。
 今年度「変わった」と言われる中大。寮の中での生活から常に「周囲から見られている」という意識を持ち、練習の態度、生活態度から全てを変えた。山形主将を中心に4年生が先頭に立って改革を進めてきた。この日スタンドからの応援となった山形主将が「応援に来てくれる人もスムーズに見てもらうことができるように」と率先して裏方の仕事を行っていたが、選手1人1人がチームの運営面にも気を配るようになった。
 今回、その中で結果を出した。山形主将は「やってきたことが結果につながったのはうれしい。僕ら4年生は物理的にはチームからいなくなるけど、これからが大事。僕らがやってきたことが出るのは今後。(後輩には)もっともっと良いものを作り出してもらいたい」。
 決勝での名門対決で、勝ちたい気持ちをより強く持っていたのは「変わった」ことを示すために結果にこだわっていた中大だった。準優勝ではなく、優勝が必要だった。そして栄冠を獲得。「変わった」中大が、関東2部降格も味わった16年間から、名門復活への第1歩を踏み出した。

(取材・文 吉田太郎)

TOP