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35番で鹿島に復帰のMF野沢「家出息子が戻ってきました」

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 MF野沢拓也が、鹿島に戻って来た。29日に行われた新加入選手会見の冒頭で、トニーニョ・セレーゾ監督が「私は長年ここにいたので、復帰したというよりちょっと散歩して戻ってきた感じです」と挨拶をした。その後にマイクを取った野沢は、「僕もセレーゾ監督と同じ気持ちで、散歩に出ていたのかなと。また我が家に帰って来ることができました。家出した息子が帰ってきました」と、笑顔を見せた。

 昨シーズン、ジュニアユースから過ごした鹿島を飛び出し、ヴィッセル神戸へ移籍した。神戸ではゲームキャプテンも務めたが、思うような活躍はできずにクラブはJ2へ降格してしまう。今オフ、神戸をもう一度J1に上げたいという思いもあったというが、最終的には鹿島への復帰を選んだ。

「移籍して、ヴィッセルを優勝に導くことができなかったし、ましてやJ2に落とした責任もありました。もう一度(神戸を)J1に上げて、将来的に優勝させることも考えました。すごく悩んだけれど、僕自身は先を考えるためにサッカーをやっているわけではありません。先を見るよりも、今勝ちたい。今の勝利に飢えている。複雑な思いはありましたが、また(鹿島に)声を掛けてもらえて、先のことを考えるよりも、今の自分を生きたい。そう思って、鹿島(復帰)という道を選びました」と、野沢は決断の理由を説明した。

 野沢は2000年に鹿島のトップチームに登録された。そのときの指揮官も、今シーズンから8年ぶりに戻ってきたトニーニョ・セレーゾ監督だった。指揮官は愛弟子に高い期待を寄せている。「青年から大人になっていく過程も見たし、選手としても両足でボールを扱えて、プレースキックの能力も高い。雑談の中で(野沢が)17点取ってくれると言っていたので、それが実現できたら、われわれは優勝しているでしょう」と、ニヤリ。やや困惑した野沢は「入団当時は、FWだったから17点という話になったのかな?」と首をかしげたが「当時も、今回も一緒で、本当に不思議な縁ですね。僕もいろんな経験を積んだので、成長を含めて見てもらえたらと思います。甘えが利かない、厳しい人ですが、見ているところの素晴らしい監督です。また同じ舞台でできることに喜びを感じています」と話す。

 よく知るチーム、恩師の下で迎える2013シーズン。2年前との大きな違いは、彼の背番号だろう。1997年に2種登録だったときに与えられた35番を付けることになった。息子、娘の名前にも、2年前まで付けていた『8』にちなんだ名前を付けた野沢は「8番を着けたかった」と、素直に認める。「でも、ジュニーニョという偉大な選手が付けているので。娘の名前が『ミコ』というんです。それで(鹿島の)35番が空いていたし、足して8になるので35にしました」。

 復帰に関しては、決して優しい言葉ばかりを掛けられているわけではない。『一度はチームを捨てた選手が戻ってきた』という声も彼の耳には届いている。「賛否両論があると思いますが、僕はサッカー選手として、常にベストな選択肢を選びます。サッカー人生は短いですし、周囲は世代交代を求めるかもしれませんが、僕たちは今、勝ちたい。目の前の勝利しか見えていません。今年は今まで以上にプレッシャーを感じていますが、結果で返せたらと思います」。断固たる決意を持ち、鹿島に復帰した野沢。その目にはタイトルしか、映っていない。
(取材・文 河合拓)

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