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「カズさんのシュートも鮮明に…」“因縁”のイラン戦へ、森保一が語った『27年前の広島』

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27年前の記憶を語った日本代表森保一監督

 アジアカップ準決勝イラン戦を翌日に控えた27日、前日会見に登壇した日本代表森保一監督は報道陣から27年前の記憶を問われた。「まず記者さんに言われて、広島で行われたアジア杯を思い出しました。カズさんが決めたシュートも鮮明に蘇ってきた」。選手時代の記憶を呼び起こした指揮官は長年暮らした『広島』の名を挙げながら、アジア最強チームとの決戦に思いを馳せた。

 森保監督は広島県で開かれた1992年アジア杯に主力選手として出場。グループリーグでUAE、北朝鮮に引き分けた後、勝利が絶対条件だった最終節でイランと対戦した。なかなか得点が入らない拮抗した展開の中、後半42分にFW三浦知良が決勝点をマーク。アジア杯初の決勝トーナメント進出を決めるとともに、日本代表として初めて公式大会でイランに勝利した歴史的一日となった。

 記者から向けられた質問は「1992年当時のチームと現在のチームとの違い」についてのもの。思わぬ問いに指揮官は頬を緩めながら、「まず記者さんに言われて、広島で行われたアジア杯を思い出しました」と意識していなかったことを強調した。そのうえで「当時と今の日本代表、今の日本サッカーは大きく違う」と述べ、次のように続けた。

「サッカーの環境としては、当時はアマチュアからプロに移行している中で、アジア杯では一戦一戦サッカーの盛り上がりを感じならがプレーしていた。今の選手たちはJリーグが成長した中で、海外にもいろんな選手が出て行って、世界のトップと呼ばれるリーグで貴重な経験を積んでいる。そこに違いがあると思っている」。

 そうした日本サッカー界の成長の中で、選手を取り巻く環境も変わってきた。「当時はまだ優勝したこともなく、『広島のアジア杯』で優勝するんだというチャレンジする気持ちで臨んでいた。今もチャレンジするという気持ちに変わりはないが、選手たちは勝って当たり前、優勝して当たり前というすごく大きなプレッシャーの中で自らをコントロールして戦っている」と目を細める。

 その一方で変わらないものもある。「一つだけ同じなのはチーム一丸となって、絆となって戦っていこうという雰囲気」。それはチームの発足当初から森保監督が強調してきたメンタリティーに他ならない。「そのような戦いができるように選手たちにファイトしてほしい」。1992年大会の結果は初優勝。選手として歴史を築いた27年前のように、今度は監督としてイラン戦を乗り越え、5度目の頂点に駆け上がっていくつもりだ。

(取材・文 竹内達也)

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