宮崎の歴史を変えてつかんだ選手権…宮崎日大MF山口哲平主将「歴史を重ねていってもらいたい」
[1.2 選手権2回戦 仙台育英高3-0宮崎日大高 フクアリ]
1999年度以降宮崎県の選手権出場校は、日章学園と鵬翔の“2強”が独占、2012年度には鵬翔が県勢初の日本一を果たした。宮崎日大高(宮崎)は、県予選準決勝でPK戦の末に日章学園を下すと、同校にとって3年連続7回目の県決勝へ。鵬翔相手に3-2の逆転勝利で、文字どおり“2強の壁”を破って初めて全国への切符をつかんでいた。
そして迎えた初めての選手権は、2回戦からの登場に。相手は今大会最多35回の出場を誇る東北の雄・仙台育英高(宮城)だ。
初の晴れ舞台、緊張するなというほうが無理がある。いつもどおりのプレーができず「すぐに前にボールを蹴ってしまい、つなぐサッカーができなかった」とMF山口哲平(3年)主将は回想する。
仙台育英に1点を許してしまって迎えたハーフタイム。宮崎日大はロッカールームに引き上げずに、ピッチ横のベンチでミーティングをしていた。「宮崎の子たちはスタジアムの経験がない」と南光太監督はその理由を明かす。「ロッカールームに入る仕組みがない。日常を変えたくなかった」。試合に出ている選手たちはベンチに座らせ、その前に立って「自分たちのサッカーをやろう」と指示を出した指揮官は、イレブンを後半のピッチに送り出した。
後半の立ち上がりは勢いを持って試合に入ったが同点弾を奪うことはできず。逆にMF島野怜(2年)にハットトリックを許してしまい万事休す。初めての選手権は80分で終わりを迎えてしまった。南監督は「仙台育英さんの映像や情報以上のものが現場で起きた。想定外の部分を身に沁みて感じた」と選手権ならではの教訓を得たという。
後半立ち上がりにシュートを放った主将の山口は「宮崎県の歴史を変えることを目標にサッカーをやって全国につながった。来年は歴史を重ねていってもらいたいと思います」と後輩たちにタスキをつないだ。
(取材・文 奥山典幸)
●【特設】高校選手権2020
1999年度以降宮崎県の選手権出場校は、日章学園と鵬翔の“2強”が独占、2012年度には鵬翔が県勢初の日本一を果たした。宮崎日大高(宮崎)は、県予選準決勝でPK戦の末に日章学園を下すと、同校にとって3年連続7回目の県決勝へ。鵬翔相手に3-2の逆転勝利で、文字どおり“2強の壁”を破って初めて全国への切符をつかんでいた。
そして迎えた初めての選手権は、2回戦からの登場に。相手は今大会最多35回の出場を誇る東北の雄・仙台育英高(宮城)だ。
初の晴れ舞台、緊張するなというほうが無理がある。いつもどおりのプレーができず「すぐに前にボールを蹴ってしまい、つなぐサッカーができなかった」とMF山口哲平(3年)主将は回想する。
仙台育英に1点を許してしまって迎えたハーフタイム。宮崎日大はロッカールームに引き上げずに、ピッチ横のベンチでミーティングをしていた。「宮崎の子たちはスタジアムの経験がない」と南光太監督はその理由を明かす。「ロッカールームに入る仕組みがない。日常を変えたくなかった」。試合に出ている選手たちはベンチに座らせ、その前に立って「自分たちのサッカーをやろう」と指示を出した指揮官は、イレブンを後半のピッチに送り出した。
後半の立ち上がりは勢いを持って試合に入ったが同点弾を奪うことはできず。逆にMF島野怜(2年)にハットトリックを許してしまい万事休す。初めての選手権は80分で終わりを迎えてしまった。南監督は「仙台育英さんの映像や情報以上のものが現場で起きた。想定外の部分を身に沁みて感じた」と選手権ならではの教訓を得たという。
後半立ち上がりにシュートを放った主将の山口は「宮崎県の歴史を変えることを目標にサッカーをやって全国につながった。来年は歴史を重ねていってもらいたいと思います」と後輩たちにタスキをつないだ。
(取材・文 奥山典幸)
●【特設】高校選手権2020