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仙台・大久保、被災者や亡き祖父、新しい生命へ捧げるゴール

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 ベガルタ仙台は10日、市原臨海競技場で震災後初の対外試合を行った。“復興への希望の1号”を決めたのは、現在のチームで唯一の宮城県出身でユース出身のFW大久保剛志だった。

 東洋大と行った1試合目。0-0の前半33分、大久保は右クロスからジャンピングボレーでゴールを決めた。「今、仙台、宮城県がああいう状況なので、自分が頑張って、どうにか元気づけたい思いが強いので、何としてもいい結果を出したいと思っていた。自分の友人もですし、自分のいとこも家を津波でなくしている。その人たちのことを思うとすごくつらいですけど、自分が良い話題を提供できれば少しでも元気になってもらえると思うので、魂込めてやりました」と大久保は神妙な面持ちで思いを吐露した。

 宮城県岩沼市出身で、ジュニアユース時代から仙台に在籍した。2005年にトップ昇格後、08年から10年までJFLのソニー仙台FCで武者修行し、今季から仙台に帰ってきた。そんな中で起きた東日本大震災。岩沼市にある実家は無事だったが、同じ市内にあるいとこの実家は津波で流されてしまった。知人の中にも被害に遭った人が多数いる。そして、昨年まで在籍したソニー仙台FCの本拠地練習場や一部選手が働いていた工場がある多賀城市も津波の被害に遭った。

「工場がひどい状況になってしまった。働いてる人で知り合いがたくさんいる。残念です。1階は全部、津波でやられた。2階はギリギリ大丈夫だったそうです」。故郷、仲間たちの窮地に、自らも支援活動に動いた。「ソニーの選手とは常に連絡取っていて、活動ができていないので、毎日、ボランティア活動をして、地域に貢献している。自分も時間があるときに参加させてもらった」。実家のある岩沼市の避難所なども訪れて、子供たちとサッカーをするなど出来る限りのことをした。宮城で育った唯一のベガルタ戦士として、より一層、手助けしたい思いがあったからだ。

 親愛なる祖父、そして新しい生命に捧げるゴールでもあった。「実はおととい(8日)、おじいちゃんを亡くしてしまった。きのう(9日)は、姉が赤ちゃん(女の子)を産んで、いろんな思いが重なっている状況だった。被災した人も含めて、たくさんの人の思いがあった。何とかしてゴールを取ろうと思ったので、つながってよかったです」。

 おととい8日に祖父・鶴吉さん(享年78歳)が死去した。大久保によると死因は、老衰という。鶴吉さんは大久保の“最初のサポーター”だった。子供のころから地元紙などに大久保の記事が載ると、切り抜いてスクラップしてくれていたという。もちろん、試合観戦にも来てくれた。

「おじいちゃんは、常に自分のことを気にかけてくれてて、すごく大好きでした。すごくショックです」。祖父の容体が良くないと聞き、6日にキャンプ先の千葉・市原市から地元に戻った。会話はできなかったが「サッカーを頑張るね、と言ったら、手を握ってくれた。これで、すべて伝わりました」。祖父の想いを背負って戦い、この日のゴールにつなげた。

「おじいちゃんは僕が試合に出るのを楽しみしてくれていた。何とか自分が試合に出て、活躍する姿を(天国の祖父に)見せたいと思います。自分は今年、誰よりも頑張らないといけないと思っている。生まれ育った、大好きな仙台・宮城がああいう状況になって、悔しい。でも、みんな前を向いてやっているので、それを後押しできるように、全力でやっていきたい。明るい話題を届けたい」

 その第一弾がこの日の練習試合でのゴールとなった。ただもちろん、これは始まりだ。次はJ1の舞台で初出場を果たし、初ゴールを決めることだ。大久保は現状、ベンチ入りできるかどうか微妙な立場だが、この日のゴールをきっかけに、何とかメンバー入りして試合出場、そしてゴールを-。様々な人の想いを背負い、大久保は挑み続ける。

[写真]亡き祖父への想い、被災した仲間たちについて語る大久保。活躍した姿を見せて励ますことを誓った

(取材・文 近藤安弘)

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