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「ある意味、非常にいいコンビだった」中田ヒデが松田さんとの思い出を語る

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[1.22 松田直樹メモリアルゲーム Naoki Friends 0-1 横浜F・マリノス・OB 日産ス]

 21年間の思い出を胸に秘め、ピッチに立った。2006年のドイツW杯を最後に現役を引退した中田英寿が「Naoki Friends」の一員として出場。98年のフランスW杯、02年の日韓W杯、06年のドイツW杯。かつて一緒に日の丸を背負ってきた元代表選手たちとともにプレーし、現役時代を彷彿とさせるボールキープやキラーパスを惜しげもなく披露した。

「今日のメンバーが集まるにはきっかけがないと、これだけ集まらない。そのきっかけが松田というのは、自分にとっては面白くもあり、感慨深くもある」

 93年のU-17世界ユース選手権(現U-17W杯)、95年のU-20世界ユース選手権(現U-20W杯)、96年のアトランタ五輪、00年のシドニー五輪、そして02年の日韓W杯。各年代の世界大会をともに戦い、悔しさも喜びも一緒に分かち合ってきたのが、故・松田直樹さんだった。

「僕とマツは中学のときに知り合って、サッカーをやっている間はよく会っていたし、僕が海外に行って距離は空いたけど、彼とのつながりは変わらなかった。僕と彼の関係は14歳で始まって、去年、終わってしまったけど、彼とのつながりは、サッカーに始まり、サッカーに終わった感じがする」

 自分はひと足早く現役から退き、松田さんはJ1からJFLへカテゴリーを移して現役を続けた。性格やスタイルは違っても、サッカーに対する熱い情熱は一緒だった。

「彼もはっきりモノを言う人間だったし、僕もはっきりモノを言う人間。裏表なく言うところが僕には心地よくて、彼はサッカーのときと遊ぶときとの差があった。イタズラ小僧で困ることもあったし、僕がサポートしないといけなくて、怒る側だったけど、それがあって両方が成り立っていたと思うし、ある意味、非常にいいコンビだったと思う」

 少し昔を思い出し、感傷に浸った中田。天国の松田さんもきっと同じことを思っているはずだ。

(取材・文 西山紘平)

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