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関塚ジャパン最多出場の山口、最大の敵は「移動」

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[3.14 五輪アジア最終予選 日本2-0バーレーン 国立]

 最後まで走り切った。関塚ジャパンの初戦となった10年11月8日の中国戦(3-0)以降、ただ一人、全21試合に出場したのが、MF山口螢だった。

 2次予選の2試合では、途中からの出場。最終予でも、初戦のマレーシア戦(2-0)、バーレーン戦(2-0)では、キックオフをベンチから迎えた。だが、ホームのシリア戦(2-1)以降は、C大阪のチームメイトでもあるMF扇原貴宏と中盤の底でコンビを組み、チームにとって欠かせないピースとなった。

 この日のバーレーン戦でも、攻守にフル稼働した。「縦に速い相手なので、カバーの意識はもっていました。もう少しうまくできればよかった部分もあったけど、ある程度はできたと思う」と手応えを語るように、中盤のフィルター役として、速攻に転じてくる相手に、体を当てて加速を許さない。

 また、パスワークが持ち味のチームにとって、彼の存在は生命線でもあった。「だいぶ前からああいう形でやっていたので。よりスムーズにボールも回りますし、流れの中でっていうのは意識しました」と話す。山口の言う「ああいう形」とは両CBの間に入り、ビルドアップに加わった動きのことだ。守備を固める相手に対し、DF鈴木大輔、DF濱田水輝と並列に入り、ボールをつなぐ。そこから相手の守備ブロックに穴をあけるように揺さぶりをかけた。

 決定的な仕事も見せた。後半19分、DFラインの裏に飛び出していくMF清武弘嗣の動きに合わせ、ロングパスを送る。DFラインの背後を取った清武は、GKの位置を見極めて落ち着いてシュートを放ったが、左ポストに嫌われた。その瞬間は、思わず天を仰いでいた。

「僕のところにパスが来る前から、キヨくんが動き出しているのが見えていたので。欲を言えば……決めてほしかったですね(笑)」

 ロンドンへの切符獲得を告げるホイッスルが鳴った瞬間、全身に広がったのは、安堵感だった。

「今まで長い間、戦ってきましたし、いろいろ厳しい状況にもありましたからね。それをチーム全員で乗り越えられた。自分も結構、試合に出させてもらって、成長したところはあると思う。だから、終わった瞬間、最初はホッとしましたね。そこからジワジワと喜びの感情が沸いてきました」

 関塚ジャパンで最も多くの試合を戦った山口にとって、この予選で一番つらかったことはなんだったのか。答えは意外にも、ピッチ外のことだった。

「移動ですかね(苦笑)。長い移動はあまり好きじゃないので、ゲームをいっぱい持っていったり、DVDをいっぱい持って行ったりしました(笑)」

 ここから、また18人の枠を巡る戦いが始まる。だが、この半年と同じような成長曲線を描くことができれば、DVDやゲームをたくさんカバンに詰め込み、ロンドンへ向かう山口の姿を目にすることができるだろう。


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