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山内翔の隣で感じた手応えと悔しさと。筑波大MF加藤玄は中学時代から憧れていたチームの絶対的中心へとさらなる飛躍を誓う!

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筑波大不動のボランチ、MF加藤玄(2年=名古屋U-18)

[12.21 インカレ準決勝 筑波大0-1明治大 流通経済大学龍ケ崎フィールド]

 1年間を戦い抜いた末の全国ベスト4。それはもちろん負けた悔しさがないはずはないけれど、長いシーズンの中で掴んできた確かな手応えも、自分の内側には残っている。ゆえに、覚悟を決める。もっとチームの中心になりたい。中学生のころから憧れていたこのチームを、牽引する存在になりたい。

「今まさにこの瞬間は、タイトルへの想いが本当に強いです。ユースの先輩の牛澤健くん(中央大)が言っていた、『優勝できなかったらビリも準優勝も一緒』という言葉が自分の中にはずっと残っていて、まさに今日はそうだったなと。タイトルを獲らないと、優勝しないと何も残らないんだなということは感じたので、来年も試合に出続けて、チームを引っ張ることもそうですけど、その先にリーグ戦、カップ戦でタイトルを獲ることを、自分に使命として与えたいですね」。

 タレント居並ぶ関東王者で堂々と定位置を掴んだ、思考する男。筑波大(関東1)のボランチを任されたMF加藤玄(2年=名古屋U-18)は、大きな経験を得た2023年を糧に、絶対的な中心選手となるための道筋を、自らの進むべき未来に描いている。


 それは、まるでデジャヴのようだった。同じ関東大学リーグを主戦場とする明治大(関東3)と対峙したインカレ準決勝。「前期も後期もまったくと言っていいほど同じような展開で、今年のチームは自分たちがボールを持てたので、今日もある程度引かれながらも、明治がしたたかに狙っている感じはずっとしていましたし、特に前線には強烈な選手がいて、速さと強さがあるので、常にそこに対するマネジメントはしていたつもりでした」と加藤も振り返ったように、筑波大が攻めて、明治大が耐える時間が前半から続いていく。

 流れの“変化”には気付いていた。「後半に7番(田中克幸)が入ってきたタイミングから、少しボールを持たれ始めましたね」。後半13分。初めて与えた決定機で失点を許すと、時間を追うごとに筑波大の焦りの色が濃くなっていく。「残り15分は筑波らしくなかったかなと。相手が奪いに来ても、ブロックを敷いても、相手を見ながらゴールに迫るサッカーをもうちょっと見せたかったです」。最後まで相手の堅陣は崩れず、試合はそのままタイムアップ。7年ぶりの戴冠を狙った筑波大の進撃は、ベスト4でその行く手を阻まれた。

 試合が終わった瞬間、膝に手を突いてしばらく俯いていた加藤の中には、2つの感情が渦巻いていた。「『終わってしまったな』という虚しさはありますけど、今年1年の自分やこのチームでやってきたことを肯定できる気持ちもありますし、『良いシーズンだったな』という想いと、ここで負けてしまった悔しさの、半々の感情でしたね」。

 今季の加藤はリーグ戦全22試合にスタメン出場。強力なライバルたちと切磋琢磨しながら、1シーズンにわたってレギュラーを張り続ける中で、横にいる最高のお手本を近くで見つめながら、強く感じたことがあったという。

「多くの試合に出場させていただきましたし、ある程度の自信や手応えは感じましたけど、自分の感覚では持っている力を証明できたにしか過ぎなくて、まだ翔くんを見ているとやれることを増やさないといけないなと。もちろん満足はしていないですけど、自分のパフォーマンスにある程度の手応えはあった中で、それ以上にもっと自分の力を伸ばしていかないと、これより上はないんだなということは、ずっと隣にいた翔くんを見るたびに思いました」。

 筑波大の絶対的なキャプテンであり、精神的支柱を務めてきたMF山内翔(4年=神戸U-18)の存在は、加藤にとってあまりにも大きい。それをより痛感したのは、山内がアジア競技大会に参加するU-22日本代表に選出され、欠場を余儀なくされたリーグ戦の2試合の経験だ。

「翔くんがいなかった国士舘戦と東洋戦で自分は1点ずつ獲れましたし、周りから肯定してもらえたんですけど、逆に自分の中では凄くモヤモヤが残る2試合だったんです。『ああ、翔くんがいる時の筑波のサッカーにはならないんだな』って。自分がゲームを落ち着かせることも、言葉で周りを動かすこともそうですし、以前より中心的な立場になった自覚はあった中で、チームを先導できない不甲斐なさを感じた試合でした」。

 だからこそ、山内が抜けた来季からに対する決意が、言葉に滲む。「チームに対する発言の影響力とか、言動や行動に周りが一目置いている感じがやっぱり翔くんは違うんです。それは普段のプレーや、普段の発言や言動に裏付けられているものなんですけど、説得力が違うというか、あの人の1つの言葉でチームが変わるし、試合が変わるし、まさにすべてを操っているんだろうなと。それと同じことが自分にできるのかはわからないですけど、1年間近くで見てきた以上、来年からは自分がその役割を引き受ける責任があるのかなと思います」。


 筑波大への想いは、誰よりも強い自負がある。なぜならこの組織を最初に意識したのは、中学生のころにさかのぼるからだ。「自分が中学3年生になるタイミングで、風間八宏さんが名古屋グランパスの監督に就任したんですけど、『筑波で監督をやって、フロンターレであれだけのサッカーをやった人が、名古屋に来たんだ!』という衝撃があって、そこで筑波に対する意識が芽生えたのは今でも鮮明に覚えています」。

 名古屋グランパスU-15からU-18へ昇格する際にも、クラブの提携校ではなく、一般受験を経て県立の進学校へ入学。サッカー推薦を勝ち獲れなかった時のことを考え、全国トップレベルの環境で行われる厳しいトレーニングと並行して、筑波の受験を想定しながら地道に勉学にも励んできた。

 実は既に高校時代に、“運命の出会い”を果たしていたそうだ。「高校1年生の時に、神戸とのプレミアリーグの前期の試合のベンチに入ったんですけど、その時に翔くんのプレーを見て衝撃を受けたんです。後期の試合は10分くらい出させてもらって、そこでは翔くんとマッチアップする瞬間があって、ずっと憧れもあったんですけど、ゲキサカの筑波の新入生発表の記事で翔くんの名前を見た瞬間に、『マジか!あの人、筑波なんだ!』って(笑)」。そんな人とともに憧れのチームへ入り、ボランチでコンビを組むことになるのだから、人生はわからない。


 自分のすべてをこの組織に捧げる覚悟は、ずっと前から携えている。だからこそ、もっと成長できる。自分も、チームも、もっと、もっと。

「筑波は大所帯のクラブですし、200人の代表としてピッチでプレーしていることに対する誇りと責任は感じていますけど、やっぱり周りに優秀な選手がたくさんいるので、まだ自分の力で筑波を導いている実感はまったくなくて、それを自分の中で感じられてこそ、筑波で試合に出る意味があるということは今年1年ずっと思い続けてきたんですけど、その領域にはまだ到達できませんでした」。

「来年からは翔くんが抜けて、また新しい競争が始まりますし、ボランチのライバルには(竹内)崇人くんもいて、徳永(涼)もいて、まったく気が抜けないどころか、さらに競争は激化すると思うので、そこでまたイチから自分を鍛え直して、本当に仲間に認められた状態で、筑波のスタメンとしてピッチに立ちたいと思います」。

 チームの誰もが認める絶対的な存在へ。筑波愛に貫かれたプレーメイカー。加藤が1年を掛けて味わった手応えと突き付けられた悔しさは、きっと2024年の自分を奮い立たせるための、かけがえのないエネルギーになるはずだ。



(取材・文 土屋雅史)

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土屋雅史
Text by 土屋雅史

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