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苦しい1年を過ごしてきた紫紺の副主将が掲げた優勝カップ。明治大DF村上陽介は日本一を手土産に古巣・大宮での新たな挑戦へ!

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明治大の副キャプテンを務めるDF村上陽介(4年=大宮U18)

[12.24 インカレ決勝 明治大2-0京都産業大 カシマ]

 思うようにいかないことの方が多い1年だった。自分自身のパフォーマンスも上がらず、試合に出ることの叶わない時間が続く日々に、歯ぎしりするほどの悔しさを噛み締めたことも一度や二度ではない。でも、そんなときほど、結局はそこへ立ち返る。『すべては明治のために』。その信念には微塵のブレもない。

「この1年間、正直葛藤はありました。ケガでプレーできない期間は相当辛かったですし、戻ってからもなかなか自分の思うようなプレーができなくて、その葛藤はありましたけど、そういう苦しみすら、今日のピッチに自分がしっかり立てたということも含めて、この日本一で報われたなという感じですね」。

 紫紺の意志を貫いた、闘志あふれる明治大(関東3)の副主将。DF村上陽介(4年=大宮U18/大宮内定)が積み重ねた汗と努力の4年間は、最後の最後で手繰り寄せた日本一という最高の形で、報われたのだ。


 それは意外にも思える“メンバー外”だった。筑波大(関東1)と対峙した準決勝。それまでの2試合でスタメンに指名されていた村上の名前は、メンバー表のどこを探しても見当たらない。

「準決勝の前に、栗田さん(栗田大輔監督)から『こういう意図だ』という話がありました。自分自身も初戦の関学(関西学院大)との試合で、不要なイエローカードをもらってしまったところもあったので、その話にはすぐに納得しましたし、もう次に向けて準備していました」。

 チームのサポートをしながら、願い続けた想いは通じる。厳しい試合を1-0で潜り抜けた明治大は、堂々の決勝進出。「『決勝では必ずチャンスが来る』と自分では思っていたので、そこに向けて準備はしっかりしていましたし、やるべきことを変えずにやり続けていました」。大学最後の試合に向けて、万全の準備を整える。

 12月24日。京都産業大(関西1)と激突する決勝のスタメンリストに、栗田監督は村上の名前を書き込む。仲間が繋いでくれた大一番のバトン。副キャプテンとしても、4年生としても、何よりこの明治の一員としても、全力で戦わない理由なんて1つもない。「とにかく『この明治のために何かを残したい』という想いでした」。確固たる決意を携えて、運命のピッチへ歩みを進めていく。

 試合は慎重に立ち上がる。「もっと前半から積極的にやれたかなとも思います」とは村上だが、日本一を巡るヒリヒリとした緊張感が、ピッチのそこかしこに漂う。3バックの右センターバックに入った背番号3も、まずは守備に軸足を置きながら、DF内田陽介(3年=青森山田高)との連携から、時折高い位置まで顔を出す。

 後半に入ると、チームは2点のリードを奪取。村上も意識をより守備に傾けながら、相手のチャンスの芽を1つずつ、丁寧に、摘み取っていく。だが、攣り掛けていた足に相手のスパイクが入り、後半25分に途中交代。準決勝でフル出場を果たしたDF鷲見星河(3年=名古屋U-18)に後を託す。

 ベンチで試合終了の笛を聞くと、気付けば周りのみんなと一緒に泣いていた。「自分たちの代は『4年生なのに全然ダメだな』みたいなことを言われてきた代でしたし、実際にダメな部分も相当あったので、それが優勝という結果ですべて報われたなという感じでしたね。正直泣いちゃいました。あまり泣くタイプではないんですけど、ちょっと今日は涙が出てきました(笑)。でも、4年生は優勝して試合が終わった後にみんな泣いていたので、やっぱり『明治に何かを残したい』という想いが相当強かったんじゃないかなと思います」。滲んだ視界に捉えた日本一の光景は、やっぱり最高だった。


 まさに満身創痍の1年を過ごしてきた。「左足首の3度の捻挫、第五中足骨骨折、右足の太ももの2度の肉離れで、トータルでは半年ぐらいサッカーができなくて、正直コンディション的にも自分の考えていることが全然できない苦しさがありましたね」。

 治ってはケガ、治ってはケガの繰り返し。明治大で繰り広げられるポジション争いは熾烈を極めており、練習に復帰したからといって、すぐに定位置を取り戻せるはずもない。結果的に村上もリーグ戦でスタメン出場したのは、開幕戦の1試合のみ。結果でチームの貢献できないもどかしさは、1年を通じて抱えてきた。

 それでも、自分を支えてきたのは『明治の象徴』であろうとする強い誇りだ。「やっぱり明治はどんな立場でも、とにかくチームのために100パーセントやるという、そのポリシーがあるんです。しかも自分は4年生で副キャプテンですし、とにかくどんな立場であろうと100パーセントやるという姿勢は貫きました」。そんな姿を見てきたチームメイトも、村上に優勝カップを掲げる一幕を用意する。想定通りの“ノーリアクション”も、きっと良い思い出になっていくことだろう。



 卒業後は高校年代の3年間を過ごした大宮アルディージャへと帰還する。「この4年間も大宮に戻るためにやってきたところは正直ありますし、オファーをもらって即決で『行きます』と言いました。同期の中でも一番早くリリースも出たので、自分自身に大宮アルディージャに対する、成長させてもらったことへの感謝とクラブ愛はあります」。

 強いクラブへの想いを持ち続けてきたからこそ、明治で学んだ基準を生かしたいという覚悟もしっかりと口にする。「でも、僕はそういうクラブ愛が“ぬるさ”や“不要な優しさ”に繋がるのは違うと思っています。明治がなぜ優勝できたかと言えば、もう日々の練習でしかないと思っていて、1つのパス練習で集中したプレーをしていなければ、スタメンからベンチ外になるぐらいの緊張感がありました」

「もちろん大宮でも日々の練習がすべてであることは変わらないので、明治で培ったメンタリティや戦う部分を、そのまま表現したいですし、その上でチームの助けになれたらなと考えています。大宮でプレーできるのはメチャメチャ楽しみです。やっぱりあのユニフォームを背負って戦えることは、自分にとってとてつもない誇りなので、そのクラブ愛をすべてぶつけられたらいいかなと思っています」。

 紫紺の魂を磨いてきた闘将は、待ち焦がれたオレンジへと、より成長した姿で凱旋する。いつだって目の前のやるべきことに120パーセントの気合で向き合える、気骨稜々たるセンターバック。どれだけ悩んでも、苦しんでも、もがいても、村上が燃やし続ける情熱の炎が衰えることは、決してない。



(取材・文 土屋雅史)
土屋雅史
Text by 土屋雅史

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