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JFAが2034年W杯のサウジアラビア開催支持へ…田嶋会長「ベストな選択をした」と強調、立候補見送った背景は

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日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長

 日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長が19日、理事会後のメディアブリーフィングを行い、2034年のワールドカップについて、すでに開催国に立候補を表明しているサウジアラビアを支持することを決めたと明かした。2050年までに日本で初の単独開催を目指していた中、今回は立候補を見送ることになった。

 田嶋会長は日本が立候補しないことについて「戦う道具があれば真っ向勝負になったかもしれないが、ベースとなるものがないという点で諦めざるを得なかった」と説明。現在のW杯規定では収容数8万人以上のスタジアムが1会場、6万人以上が2会場、4万人以上が11会場以上という基準がそれぞれ設けられているが、屋根などの基準もあることを考えると、「(入札までの)半年間で進めるのは難しい」と判断したという。

▼2030年、34年W杯開催への動き
 2034年大会の開催国をめぐっては、4日に行われた国際サッカー連盟(FIFA)評議会で議論が一気に進展していた。

 大きな契機となったのは当初来年の総会で決議されるはずだった30年大会の開催地が、スペイン、ポルトガル、モロッコの3か国共催で一本化されたこと。同大会は1930年の第1回大会から100周年記念となるため、初代開催国のウルグアイのほか、アルゼンチン、パラグアイ、チリの計4か国も共催で名乗り出ていたが、FIFA評議会を前に取り下げていた。

 もっとも、この南米4か国共催案は異例の形で一部採用されることになった。新たに浮上したのはウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイの3か国で、それぞれの代表の開幕戦を正式な開幕日の10日前をめどに「記念試合」として開催するというもの。これによりヨーロッパ、アフリカ、南米の3大陸6か国で試合が行われるという異例の巨大フォーマットが出来上がった。

 30年大会の開催国がこうして定まったことにより、34年大会の開催地域も大きく絞られた。26年大会は北中米カリブ海で開かれることが決まっているため、30年大会の開催地であるヨーロッパ・アフリカ・南米を除けば、34年大会の候補はアジア、オセアニアのみ。22年のカタールW杯から異例の短期間でアジアに再びホスト権が戻ってくる可能性が出てきた。

 これらの議論を経た結果、FIFA評議会では①30年大会の開催国、②30年大会の記念試合、③34年大会の開催地域を同時に決議。①〜③の内容は互いに影響し合うことから、それぞれの論点に賛否を募る形ではなく、3点セットで決議が行われた結果、賛成多数で可決された。

▼日本はなぜ立候補しなかったのか
 FIFA評議会では34年大会の開催国決定に際し、年内に立候補を募り、来年7月初頭までに入札を行うというスケジュール案も打ち出された。田嶋会長は「入札までの時間が短いことには議論があったが、3つ合わせての決議だったので賛成になった」と振り返ったが、このスピード感が日本の立候補に向けた一つの障壁となったようだ。

 田嶋会長は「2002年、22年のW杯招致に関わってきていたので、とても6か月ほどではできるはずはないと分かっていた」と指摘。トップダウンで意思決定ができる国々とは違い、日本が立候補の動きを進める場合、W杯基準を満たす施設整備に向けて政府や都道府県、自治体、議会などとの調整が不可欠な中で「半年間で進めるのは難しい」と判断させるを得なかったようだ。

 また田嶋会長はFIFA評議会の時点で「これができるのはアジアとオセアニアなら1か国しかない」とサウジアラビアの存在を想定していたという。

 実際にFIFA評議会から数時間も経たないうちに、サウジアラビア側はサッカー連盟だけでなく、王族や要職者が次々に34年大会の立候補意向を表明。今季からサウジアラビアのリーグでプレーするFWカリム・ベンゼマら世界的スター選手も関心を表し、国を挙げたムーブメントを作り出していった。

 また同日中にはアジアサッカー連盟(AFC)もサウジアラビアの立候補を「歓迎する」という声明を発表。そこに中東諸国も次々に追随し、今年初旬まで国交断絶関係にあったイランまで支持を表明するに至った。今月9日にはサウジアラビア連盟が正式な立候補表明を行い、「70以上の連盟からの支持を受けている」と公表していた。

 当初は対抗馬としてオーストラリア、インドネシア、マレーシア、シンガポールが共催に前向きな姿勢を示していたが、インドネシアが断念。その結果、アジア全体がサウジアラビア支持の方針に固まっていった。

 こうした状況を受け、JFA側も常務理事会などで議論を進め、サウジアラビア支持の方針を固めた。今月18日にオンラインで行われたAFC臨時総会で、宮本恒靖専務理事がサウジアラビア支持の意向を表明。19日の理事会では、その内容を正式なレターとしてAFCとサウジアラビア連盟に送付することを決議した。

▼日本の今後の動きは…
 田嶋会長はサウジアラビアを支持するにあたり、現在の国際サッカー界における同国の存在を「相当な影響力があると思う。ガルフ諸国の中でナンバーワンであるということで、カタールの成功がかなり意識させていると感じている」と分析する。今年末にはクラブW杯、27年にはアジア杯の開催も控えている中、さらにアジア競技大会の冬競技の開催にも乗り出しており、「なんでもできるぞという自負は持っていると思うし、実現も可能な国だと思っている」と見つめた。

 一方、イスラム法に依拠した慣習や、女性やマイノリティへの人権問題がかねてより指摘されており、国を挙げたスポーツ振興には“スポーツウォッシング”の観点から批判が向けられている。そうした中、田嶋会長は「カタールもそうだったかもしれないが、変わろうとする姿勢をすごく見せてくれている。女子サッカーに対する熱の入れ方、そういうものに対して変わろうとしているというのは評価しなければいけないところだと思っている」と一定の評価で見ている。

 JFAは2005年1月1日に発表した「JFA2005年宣言」で、「2050年までにW杯を日本で開催し、日本代表チームはその大会で優勝チームになる」という目標を設定した。カタールW杯後の第2次森保ジャパンではこの宣言に基づいて「世界一」という目標を公言するようになったが、そこには「自国開催」という悲願もセットとなっている。しかし、34年大会での立候補には至らなかったように、そこには施設整備など多くの壁が立ちはだかる。

 田嶋会長はこの日、今後のW杯について「48チーム参加になったことで、1か国でできるところは莫大にお金があるところなどすごく限られる」と述べつつ、単独開催ではなく他国との共催を目指す可能性も「視野に入れて考えなければいけない」と強調し、次のように展望を語った。

「次に決まる時に自分はその場にはいないが、いろんな可能性を探っていくことが必要だと思っている。韓国の方とも2002年のことを考えて『もう一回どう?』というのも正式には出ていないが、そういう話があるのも事実。また本来なら手を挙げると言われていた中国が手を上げることができていないが、将来的にはあるかもしれないし、いろんな可能性を考えないといけない」

 そうした周辺国との共催案も踏まえつつ、今回のサウジアラビア支持の背景にも「2005年宣言の実現を望むにあたってはベストな選択をした」「(2050年までに立候補するチャンスは)必ずもう一回あると思っているので、そこを狙うには今回の形が近道になると考えた」という田嶋会長。次なる立候補の機会に向けて「しっかりとそういう気運を高めることをやっていかないといけない」と力を込めた。

(取材・文 竹内達也)
●北中米W杯アジア2次予選特集ページ
竹内達也
Text by 竹内達也

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