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[関東]浦川流輝亜の“サッカー引退試合”「もう走りたくない」青森山田、専修大と名門で築いたキャリアに後悔なし

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“サッカー引退試合”を戦い終えたMF浦川流輝亜

[12.2 2部参入プレーオフ 順天堂大2-2専修大 浦安]

 表情はとても晴れやかだった。「親も観に来てくれていましたし、楽しくサッカーがしたいなと思っていました。試合前はちょっと心残りがあるのかなとも思ったけど、最後までピッチに立てたことで、自分的にはいい終わり方だったなと思います」。MF浦川流輝亜(4年=青森山田高)は清々しく、サッカーキャリアの最終戦を終えた。

 後輩たちに2部の戦いを残すためには、勝たないといけなかった。そんな専修大は前半9分に浦川のFKからDF樋口大輝(4年=松本U-18)が合わせた先制弾を含め、2度のリードを奪った。しかしリードを守り切れず2-2で引き分けて、3部リーグの残留が決まった。

 2点目が決まった後には浦川にも得点機があったが、決め切ることは出来なかった。「自分のサッカー人生という感じ。最後にチャンスをものに出来なかったのが、自分だったなと感じます」。最後という言葉を噛み締めるようにして話した。

 これで引退という決断に後悔はないという。

 中学3年生の夏まで横浜FCのアカデミーですごしていたが、昇格を断って青森山田中に転入。高校でそのまま、兄の浦川流樺さんがいた青森山田高に進学した。

 そして高校では中心選手として活躍。3年生の時に出場した高校選手権では、MF武田英寿(水戸)らと強力攻撃陣を形成して準優勝。得点後に仲間と披露した人気漫画ドラゴンボールのギニュー特戦隊のポーズは、大きな話題を集めた。

 大学も2学年上の流樺さんを追うように専大に進学。関東1部だった1年生のころから出場機会を掴み、大学3年時は神奈川県リーグにまで降格したが、4年間、コンスタントに試合に出続けた。

 チーム成績の不調が続いた中でも心掛けたのは、サッカーを楽しむことだったという。大学に入学した20年4月はコロナ禍による混乱が始まったばかりのころ。入学式もなく、サッカー部の仲間と寮で過ごすことも多かった。「今の4年生は学校にほぼ行っていない人もいると思う」と振り返る。

「自分的には大学サッカーに入った時に一番は楽しみたいと思ったのが大きかった。楽しんでプロになれなかったら終わりにしようと思ったし、1部から県リーグまで経験して、監督も3人も変わって。『あの4連覇した専修が…』っていうこともめちゃくちゃ言われて。でもすごく難しい中で頑張ってきた仲間、楽しませてくれた仲間に感謝したいです」

 大学4年間でサッカー選手の夢を諦めなかったわけではないが、1年生のころから真剣にアルバイトもこなした。最初はスポーツ店、ホームファッションを扱う店舗でも働いた。

「サッカーはめちゃくちゃ自信があるって胸を張って言えるんですけど、社会に出たときに俺全然ダメな人間なんだっていうのが一番大きくて。その時にほかの世界も経験してみたいなと思った。ずっとサッカー一筋で行くのもいいと思うけど、いろんな世界を経験したいなって。人生一度切りなので、そこも楽しめたらいいかなと思います」

 必要とされれば行こうと思っていたプロの世界だが、声がかからなかったことで迷いを吹っ切ることもできた。内定を貰ったいくつかの企業から、ここも流樺さんと同じホームファッション系企業への入社を選択した。「兄とはあまり話さないけど、『いい企業だよ』って。自分的にもゆっくり過ごしたいと思ったので、その企業に決めました」。

 ゆっくりと過ごしたいという言葉に実感がこもった。「自分的にはもう走りたくないんです」。そこにあるのは、アマチュアサッカー界のトップレベルを走り続けてきた達成感だ。「やっぱり普通の人では経験できないことをめちゃくちゃさせてもらったと思っています。本当に感謝したいのは両親。サッカーが楽しかったのはもちろんなんですけど、一番は親に感謝できるようになった。そこはサッカーが成長させてくれた。最高の時間を過ごせたと思っています」。

 楽しみ方は変わるかもしれないが、これからもサッカーとは関わり続けていくつもりだ。「試合を見るのは好き」という浦川。ともに汗を流した仲間がいるスタジアムに足を運ぶことを楽しみにする。「友達もいっぱいプロになっていますし、応援できればいいかなと思います」。人生を形作っていくのは、これからだ。

(取材・文 児玉幸洋)
●第97回関東大学リーグ特集
児玉幸洋
Text by 児玉幸洋

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