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伝説のPKストッパー…驚異のPK阻止率の“秘密”に迫る:後編

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2016年10月22日、バレンシア対バルセロナ戦。2-2の後半アディショナルタイムにFWリオネル・メッシがPKで決勝点を決めた

 今夏より母国のフラメンゴでプレーするGKジエゴ・アウベス(32)はリーガ・エスパニョーラ史上最高のPKストッパーとして“伝説”を残した。07年からアルメリア、11年からはバレンシアのゴールを守り、48回のPKのうち実に22回をストップ。驚異のPK阻止率の“秘密”はどこにあるのか。PKの真実とは何なのか。蹴る側と止める側、双方について英紙「フィナンシャル・タイムズ」が総力取材。大型ルポルタージュとして展開した。以下、「クーリエ・ジャポン」より抜粋し、前編・後編に分けて掲載する。

From Financial Times (UK) フィナンシャル・タイムズ(英国)
Text by Murad Ahmed

▼前編はこちら

 PKを分析した学術論文は数多い。PKの場面は、「ゲーム理論」を現実の世界で検証できる典型的な例だからだ。ゲーム理論とは、「お互いに行動が影響しあう状況下で、ゲームの参加者はどのようにふるまうのか」を経済学者が研究する際に用いるものだ。

 映画『ビューティフル・マインド』の主人公、天才数学者のジョン・ナッシュが研究していたのもゲーム理論である。

「私たちのような経済学者が映画に出てくることはありません」。こう語るのはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのイグナシオ・パラシオス=ウエルタ教授。彼はゲーム理論を検証するのにPKこそ最適だと考え、何千ものPKの結果を分析した。

 ゲーム理論でよく分析されるのは、複数のプレイヤーの思惑が入り乱れる場合だ。だがPKはそうした状況とは異なり、2人のプレイヤーが演じる「ゼロサムゲーム」である。

 キッカーにとって最高の結果、つまりゴールを決めることは、キーパーにとって最悪の結果だ。キーパーにとって最高の結果、つまりシュートが外れることは、キッカーにとって最悪の結果だ。

 こうしたゼロサムゲームでは、各プレイヤーの戦略が限定される。まずキッカーはいつも同じ方向に蹴るという「純粋な」戦略を選ぶことができる。しかしそうなると、キーパーは徐々にこのパターンに気付くようになるだろう。

 そのため、キッカーとキーパーは、どちらの側にボールを蹴るか、またはどちら側に飛んでゴールを防ぐかをランダムに選ぶ「混合戦略」を選ぶことになる。だが、これは「ボールを蹴る方向をゴールの両側に均等に振り分ける」という意味ではない。

 キッカーにとって、ナチュラルサイドのほうがより強い力で精度良くボールを蹴ることができる。だから合理的な選択として、キッカーはより多くナチュラルサイドに蹴るだろう。だがキーパーの裏をかく必要もあるので、その逆側に蹴ることもある、という話だ。

 ではその配分はどうすればいいのか。パラシオス=ウエルタの計算によれば、キッカーにとって理想的なPKは61.5%をナチュラルサイドに蹴りこみ、残りの38.5%をその反対側に蹴り込む、ということだ。逆にキーパーは、58%はナチュラルサイドに飛ぶべきだ。ちなみにキーパーのナチュラルサイドは利き手で決まる。

 彼はさらに、一流の選手は「少数の法則」にとらわれないのでPKも成功させるのだ、と述べる。

 どういうことか。記者が疑問をぶつけると、彼は「コインを10回投げた結果を想像してください。その結果を、表はH、裏はTで書いてみてください」と言った。

 記者が記録した結果は「HTTTHTHHTH」となった。

「だいたいそうですよね。みんな50対50の確率からそれほど外れない結果を書くものです。試行回数を増やせば50対50の確率に近づく、ということをあなたも知っていますよね。だから、少ない試行回数でもその通りになるようにしがちなのです」

 しかし、これは誤解に基づいている、とパラシオス=ウエルタは指摘する。

「私があなたに、10回ではなく50回分の結果を書いてみるようにお願いするとしましょう。おそらく、あなたは表か裏のどちらかを4回続けて記録することはまずないでしょう。でも実際に50回試行してみると、少なくとも一度は4回連続で同じ面が出るはずです。人間は少数の法則に従うのです」

 多くのサッカークラブが統計分析を駆使してPKの戦略を立案するようになっている。リバプールもその1つだ。プレミアリーグの一員としては、フェンウェイ・スポーツ・グループの子会社だ。フェンウェイ・スポーツ・グループは、ボストン・レッドソックスの親会社でもある。

 レッドソックスはアメリカの野球チームだが、2002年に28歳のセオ・エプスタインがGMとなり、チームの流れを変えようとした。エプスタインは統計学的見地からスポーツを分析する「セイバーメトリクス」の信奉者だ。GM就任から2年後に、レッドソックスは86年の歴史で初めてワールドシリーズに優勝した。『マネー・ボール』で有名な話である。

 フェンウェイは2010年にリバプールを買収したあと、サッカーでも同じような改革を試みた。リバプールの分析担当部門を率いていたイアン・グラハムはかつて、データ収集企業のデシジョン・テクノロジー社で働いていた。そしてもう1人、マイケル・エドワーズは、トッテナムとポーツマスでパフォーマンス分析を担当していた。

 彼らは主にリバプールのゴールキーパー、シモン・ミニョレをサポートした。ミニョレはプレミアリーグで高いPK阻止率を残している名手である。

「私はいつも試合前に分析チームと打ち合わせ、必ず相手チームの作戦にすべて目を通しています。その中にはPKも含まれます。どのようにデータを集めたのか、特定のパターンはないか、そこから学べることは何か、私たちは精査しているのです」。ベルギー代表キーパーでもあるミニョレはこのように語っている。

 2017年1月、プレミアリーグで4位と不調気味のリバプールはホームのアンフィールドで首位チェルシーと対戦した。77分、ロンドンから乗り込んだチェルシーはPKのチャンスを得た。得点能力の高いストライカー、ジエゴ・コスタが前に進み出た。

 ミニョレは広い顎でチューインガムを噛みながら、両腕を上に挙げてゴールライン上に立っていた。193cmの彼でさえ、ジャンプしなければその手はクロスバーに届かない。ジエゴ・コスタはキーパーの右側に蹴り込むことを好む、という分析担当者のデータをミニョレは思い出した。しかし、ジエゴ・コスタはゴールネットに向かってボールを高く蹴り込むこともできるし、あるいは地面に近いところに低く蹴り入れることもできる。

 ミニョレは高いシュートにも低いシュートにも反応できるよう「中間に」飛び込むよう指示されていた。そのときを思い出し、ミニョレは次のように述べた。

「はっきり言っておきたいのは、PK阻止はサッカー人生の中で最高のゴール阻止ではない、ということです。なぜなら、PKの場合は自分で心構えができるからです。試合中にゴールを防ぐのは、はるかに受動的で準備の余裕もありません。だからPKよりも他のシュートのほうが阻止するのは難しいのです」

 ホイッスルが鳴った。予想通り、ジエゴ・コスタはキーパーの右側に蹴り込む。ボールは芝すれすれにキーパーの体の下を抜けようとした。しかし、準備していたミニョレは右腕でボールをすくい上げた。

 サイドラインでリバプールのユルゲン・クロップ監督が雄叫びを上げた。「俺たちに勝てるものはいないんだ!」。ただし試合は1-1のドローに終わった。

 高いPK阻止率で「伝説」となったジエゴ・アウベスは「先を読むということ」については卓越した存在ではないという。統計分析によると、彼が飛ぶ方向を正しく推測できたのは、PKの53%にとどまる。

 63%においてアウベスはキックする選手のナチュラルサイドに飛び、37%でナチュラルサイドとは逆の方向に飛んでいる。これはゲーム理論家の予測する平均に近い値だ。アウベスへのシュートの15%は中央に蹴りこまれたが、彼が真ん中にそのままとどまったことはない。彼の本当の能力は、飛び込んだあとに明らかになる。

 実は、キーパーがPKのシュートと同じ方向に飛んだ場合でも、ゴールが決まる確率は60%以上あるのだ。だが、アウベスがシュートと同じ方向に飛んだ27回のPKのうち、得点を許したのはわずか3回。キッカーから見ると、成功率はわずか11%だ。

 つまり、アウベスのPK阻止率が高いのは、シュート方向の予想が当たったからではない。アウベスの高い身体能力のおかげなのだ。彼は直感に頼らず、状況に応じたセーブをする名手だったのである。

 アトレティコ戦でアウベスが2本のPKを止めてから3週間後、バレンシアは本拠地でバルセロナと対戦した。試合は2-2のスコアのままロスタイムに入った。92分にバルセロナのストライカー、ルイス・スアレスがペナルティーエリア内でファウルを受け、審判がホイッスルを吹いた。

 当時バレンシアの監督だったチェーザレ・プランデッリはベンチから立ち上がり、怒った様子で水の入ったボトルをグラウンドに投げつけた。

 メッシがペナルティースポットにボールを置いたとき、アウベスは、審判が戻るよう指示したにもかかわらず、メッシの前に立って見下ろした。アウベスはこのときのことをこう語る。

「私はメッシに言ったんだ。『前回もキミのシュートを止めたんだが、覚えているかな』って。あとになって、メッシは『どこに蹴ればいいのか分からなくなったよ』と話してくれた。本当は思いきり速いシュートを蹴りたかったんだろう」

 ここで、メッシは常人にはマネできない高度な技を使ったのだ。PKを記録した動画を観ると、メッシはサイドキックでシュートしようとしているように見えた。だがその代わりに、このアルゼンチン代表FWはゴールの右下隅を狙って、左足のシューズの紐の部分でボールを強打したのだ。

「メッシがこんな風にPKを蹴ったのは初めて見たよ」とアウベスは語った。ボールは芝をかすめるように飛び、キーパーの指先をわずかに避けるようにしてゴールポストの数インチ内側に飛び込んだ。

 これがアウベスにとって「2回目」の例となった。アウベスがナチュラルサイドである右側に飛び、ボールも同じ方向に飛んだにもかかわらず得点を許した、数少ない例である。

 アウベスに勝つには、世界最高だと広く認められている選手が完璧なPKを決めることが必要なのだ。

 だが、パラシオス=ウエルタは、動画を見たあとでこう言った。

「いや、メッシは左側に蹴るべきだったと思います」

★記事全文は「クーリエ・ジャポン」よりご覧ください

(c)The Financial Times Limited 2017. All Rights Reserved. Not to be redistributed, copied or modified in anyway. Kodansha is solely responsible for providing this translation and the Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.

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