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10年間の感謝を表現するラストステージ。横浜FCユースMF永田亮輔は“常に活躍できる選手”へ

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横浜FCユースにアクセントを加える献身的なレフティ、永田亮輔

[2020シーズンへ向けて](※横浜FCの協力により、オンライン取材をさせて頂いています)

 小学校3年生から付けてきたエンブレムへの想いは、深い。10年間のラストステージは、思いきり楽しむともう決めている。「自分は大学に行く予定で、横浜FCでのプレーはいったんラストなんですけど、プレミアリーグは少ししか試合数がない中で、みんなと一緒にできるのも最後なので、1試合1試合楽しんで、噛み締めながらやりたいなと思います」。横浜FCユースにアクセントを加える献身的なレフティ。永田亮輔(3年)は“常に活躍できる選手”を、残された4か月で極めてみせる。

 小学生の時に目の前で見た光景は、今でも強く脳裏に焼き付いている。「最初にサッカーの試合を見に行ったチームが横浜FCで、その時は大雨が降っていたんですけど、三ツ沢で結構な大差で勝っていたのを見て、『ああ、入ってみたいな』と思ったんです。ボランチの寺田紳一選手と松下年宏選手はよく覚えています」。3年生になって、初めてエンブレムの付いたウェアに袖を通した。

 ジュニアユース時代は“本部”ではなく、戸塚でプレー。そのルーツも自分の中では大事にしたい部分だと語る。「基本的に“本部”の方がレベルが高いですし、戸塚に入った時は『絶対ユースに上がってやろう』という気持ちでいたので、ユースに上がれた時は嬉しかったですけど、そこからさらに活躍して、『戸塚の選手でも良い選手がいるんだなと思わせてやる』という想いでやってきましたね」。

 昨年は良い時期と難しい時期の、両方を体験した。「波があったかなと。良い時期をキープして、最後まで戦えたらなというのは、今から振り返っても思います」。シーズン序盤は右サイドハーフとして定位置を確保したものの、なかなかチームが結果を残せない。逆に夏過ぎから調子を上げていったグループの中で、永田の名前はスタメンリストから消えていった。

「途中まで試合に出ていたのに、最後にケガから復帰したヒカルくん(宮原輝・日本大)にポジションを奪い返されて、ちょっとしか出られなくなったことは、自分の中で悔しさが残りました」。ただ、同じレフティの10番を見ていくことで、改めて気付いたことがあった。「ヒカルくんは凄い左足を持っていて、正直『あそこまでにはなれないな』と感じたことで、『自分の特徴を出して、チームに貢献しないといけないな』と思えたんです」。

 レフティだから、という意識をいったん頭の中から追い出してみる。「攻撃の時にドリブルやパスで攻撃の起点になる所とか、守備でも献身的にやれる所が自分の強みかなと」。貢献の仕方は人ぞれぞれ。自分にできることを、最大限にやってやろうと、心に決めた。

 思い出深いのは、やはりプレミアリーグプレーオフ。2試合とも途中出場を果たし、昇格の瞬間をピッチで味わった永田も、“非日常”を肌で感じることができた。「普段のリーグ戦とは雰囲気も全然違って、初めて味わった感覚でした。『ああ、凄いな』と。いつもより緊張するというか、『リラックスしよう』と思ってやっていたんですけど、緊張しちゃいましたね」。この時の経験が小さくない財産として、自身の中に息衝いていることは疑いようがない。

 参考にしている選手がいる。1人はレフティ。もう1人は偉大な“先輩”だ。「海外だとマフレズ選手が大好きです。左足でのカットインがバレているのに、行ける所が凄くいいですよね。どうやったらあんなに抜けるんだろうと(笑) あと、斉藤光毅くんのことはずっと見ています。常に貪欲ですし、『自分が一番になるんだ』という気持ちがあって、それが人にも伝わるのが凄いなと思います。見習いたいです」。

 クラブとしても初めての挑戦となるはずだったプレミアリーグの舞台に、なかなか立てない時期が続いたことにもどかしさを覚えながら、新たな感情も湧き出てきたようだ。「前よりももっと楽しまきゃなという想いでやっていますね。いつまたサッカーができなくなるかわからないので、常に楽しみながらやることは意識しています。僕は結構イジられたりするんですけど(笑)、自粛期間はそういう会話もなかったので、雰囲気はいいなと感じています」。

 当たり前すぎて意識することのなかった仲間の大切さ。良い環境でボールを蹴ることのできるありがたさ。改めて知った“日常”を経て、チームの中に訪れている変化も敏感に察知している。

「僕らの代はコーチからも『凄く仲が良い』と言われていて、逆にサッカーになった時に言い合えない所が課題だと指摘されてきたんですけど、最近は結構みんなガツガツ言い合うようになってきましたし、自分も言うようにしているので、それが今のチームの好調につながっているのかなと思います」。悔いは残したくない。そのための衝突なら大歓迎だ。

 プレミアリーグ開幕もすぐそこまで迫っている。10年間のラストステージは、思いきり楽しむともう決めている。「自分は大学に行く予定で、横浜FCでのプレーはいったんラストなんですけど、プレミアリーグは少ししか試合数がない中で、みんなと一緒にできるのも最後なので、1試合1試合楽しんで、噛み締めながらやりたいなと思います」。その中で、自分の目指すべき理想像も明確になっている。

「常に活躍できる選手になりたいと思いますし、自分がチームを引っ張って行けるようになりたいなと。個人としては去年の公式戦で4点しか獲れていないので、今年は4点以上絶対獲れるように日々準備していきたいです。今年、6点は獲ります。いや、7点かな(笑)」。

 横浜FCユースにアクセントを加える献身的なレフティ。ハマブルーのDNAを受け継いできた男のファイナルステップ。永田亮輔は“常に活躍できる選手”を、残された4か月で極めてみせる。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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