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[被災地に希望を ベガルタ戦士の誓い]vol.4_MF関口訓充

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 東日本大震災による被害を受けたベガルタ仙台は4日から千葉・市原市内でキャンプをスタートさせた。ゲキサカでは今回、仙台イレブンの想いを取材。第4回はMF関口訓充です。仙台一筋で、昨年は日本代表も経験した期待のアタッカー。被災地訪問を行って改めて感じた人の温かさや助け合いの想いをパワーに変え、活躍を成し遂げて“東北の希望の星”になることを誓った。

以下、一問一答

―関東キャンプがスタートしました。今思うことは?
「仙台から離れて複雑な気持ちでいますが、Jの再開も決まっているし、やるべきことをしっかりしないといけないと思います。宮城県に元気を与えられるように、練習のときくらいは(震災を)忘れて雰囲気よくやるだけです。(報道を通じて)僕らの練習を見て一つでも多くの笑顔を見られればいいと思います」

―震災による活動中止からこの3週間、どういうことを考えて過ごしていましたか?
「最初に震災が起こったときは1週間は何も考えられず、とにかく生きることしか考えられませんでした。特に最初の2日間は自分の食料を探さないといけない状況だったので、周りのことは何も見えませんでした。あらためて日がたつにつれて、亡くなった方、行方不明の方が増えてきて、あらためて大きな被災ということを実感しました。そして避難所に行くことによって、さらにつらさや悲しみが出てきましたし、いろいろなことを考えた3週間、あっという間の3週間でした」

―食料を探す事態だったんですね。
「スーパーでお金を払って何品かもらえるという状況だったので、とりあえず並びました。1時間くらいですね。すごい人の数で、みんなが食料を買いに来ていました。まずは自分の食料の確保と、あとは携帯の充電のために公民館に行ったり。そんな中でも公民館に行ったら、僕がベガルタの選手だということで避難している人たちが『パンを食べていいですよ』と声をかけてくれました。同じ被災者同士だったので、もらうことはできなかったですが、その気持ちが本当にうれしかったです」

―ここに来る前、仙台でボランティア活動もしたようですが?
「行ったのは荒浜や七ヶ浜です。テレビなどでも(被災地の様子が)よく流れていたけど、実際にいくと、何百メートル先も見えるくらい、建物がなくなって、木も倒れていました。テレビでは感じられないものを感じています。街がひとつなくなっていました。でもそれも現実です。目を背けることなく、一歩一歩前進して、元に戻れるようにしたいです」

―街が消えていたというのは?
「荒浜、七ヶ浜は、もう本当に何もない状態。レスキュー隊が遺体を探しているような状況で、見ていて何もできない自分が情けなかった。でもそれが現実なので、受け止めて一歩一歩、前進していきたいです」

―避難所に行った際はどういう反応がありましたか?
「J選抜の試合(チャリティーマッチ)を見たよ、と温かい言葉をかけてもらいました。震災で複雑な気持ち、つらい気持ちでしたが、逆に避難所に行って元気をもらい、自分たちも頑張らないといけないと思いました。試合で頑張らないと避難所の人たちに悪い。だから練習のときは気持ちを切り替えてやっていきたいです」

―逆に元気をもらったというのは?
「アポなしで行ったので追い返されてもおかしくない状況だったのですが、その中でも避難所の人たちが受け入れてくれたことがうれしかったです。自分を快く受け入れて、子どもにお菓子を配ったのですが、そのためのテーブルも用意してくれました。子どもたちとはボールを蹴ったりとか、小さいことですが話をして、子どもが頑張っているのだから自分も頑張らなくてはと思いました。行って本当に良かったです」

―どんな話をしました?
「代表の選手はやっぱりうまいんですか、とか。何気ない会話だけど、その会話が子どもにとっては心に残ると思います。写真を一緒に撮ってあげたりしたのも良かった。サッカーをして遊んだ帰りに、僕があげたグミをくれたり……。そういう子どもたちに心が洗われたというか……。子どもたちに夢を与えられるよう、夢を持ち続けられる環境を持ち続けたいと思いました」

―被害の大きい荒浜地区、七ヶ浜地区などへあえて行ったのは?
「テレビじゃなくて自分の目にしっかり焼き付けておきたかったし、そういうところに行くことによって、少しでもその人たちの気持ちを分かってあげられればいいと思いました」

―被害の大きい現場に行ってどう感じましたか?
「テレビでも壊滅という言葉を使ったりしますが、生で見て、壊滅ってこういうことを言うんだと改めて思いましたし、そういう言葉を簡単に使っちゃ行けないなと思いました」

―チャリティーマッチでは他の選手から何か言われましたか?
「いろんなことを言われました。(小笠原)満男さんと話したのですが、仙台にはベガルタがあるけど岩手や福島にはないので、そういうところにも顔を出したいと言ったら、満男さんが『岩手なら僕が子どもを集めるから』と言ってくれました。(遠藤)ヤットさんにも『これから仙台に帰ってからも大変だろうけど頑張れ』と言われました」

―今までも応援されてきたが、今年はさらに背負うものが違う?
「去年までは、簡単に言えば自分のためにやっていたし、自分が周りから評価されるためにプレーしていました。でも今年は、避難所に行ったことによって、少なくとも自分が出会った人たちの思いも分かったつもりでもいますし、そういう人たちの思いを持ってピッチに立って、1人じゃなく、そういう人たちと戦っているという気持ちを持って試合に臨みたいと思います」

―23日にはJリーグが再開します。
「楽しみにしていてほしいのは、ホーム開幕を浦和と今月中にできることです。仙台の人、1人でも多くの人に見てもらって、仙台の希望の星になりたいです」

―今改めて、今季の目標をどこに置こうと思いますか?
「1試合でも多く勝つことによって、東北・宮城が盛り上がってくると思う。ベガルタだけじゃなく、(プロ野球の)楽天も一緒に協力して東北・宮城をしっかり盛り上げていくようにしたいと思いますし、その中で優勝争いができればさらに、盛り上がると思う。仙台に活気ある街並みを取り戻すためにスポーツ界がしっかり盛り上げていけるように、そういう環境を作っていきたいと思います」

(取材・文 矢内由美子)

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