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W杯で世界一を狙うデフフットサル日本代表候補に急浮上した前橋育英OB鎌塚剛史に直撃インタビュー

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イタリアに移籍した直後。オリヴィエートFCのクラブ幹部と

 11月にスイスで行われるデフフットサルワールドカップに出場を決めた日本代表候補に急浮上した鎌塚剛史(フットサル・カペッツィオ)がゲキサカの直撃インタビューに応じた。名門・前橋育英高校ではトップチームでは出られなかったが、その後、イタリアへ渡り、健常者のフットサルチームとプロ契約。いつかはデフフットサル日本代表に入るチャンスをうかがいながら、難聴と言葉の壁と格闘しながらイタリアでプレーを続けてきた。日本代表候補に一躍浮上するまでのプロセスを、鎌塚が余すことなく語った。

――イタリアでプレーしている鎌塚選手は、(アジア予選で準優勝した)デフフットサル日本代表の試合はご覧になりましたか?
 24日の決勝のイラン戦はYouTubeのライブ配信で見ました。準決勝の世界ランク2位のタイに勝ったことはすごいことだと思います。ただ、イラン戦は個の部分で力の差があったように感じました。ボール保持者と周りの人の動きがサッカーとフットサルだと全然違います。(日本代表が積み上げてきた)技術、フィジカルもすごく大事で、その上で全員がフットサルを知らないと勝つのは厳しいかもしれません。

――日本代表の川元剛監督は前で点をとれる選手がいないので、その一人として鎌塚選手にも期待しています。
 そう言っていただけるのはすごくうれしい。代表に呼んでもらえたら、全力でやりたいです。

――フットサルをはじめて長いんですか?
 始めたのは大学3年になる前ぐらいで、それまではサッカーをやっていました。プレー経験はまだ3年ぐらいです。難聴の人がプレーするデフフットサルの存在を知ったのは2年ぐらい前に知人に言われて知りました。イタリアにいる間に日本のデフフットサルのことは気にしながら見ていて、昨年末、一時帰国したときに協会の方にお目にかかることができました。そこで「もしチャンスがあるなら一度、(日本代表)合宿に呼んで見ていただきたい」とお話しさせていただきました。

――名門・前橋育英出身だそうですが、レギュラー選手だったんですか?
 僕は2013年度まで在籍していて、ひとつ下が全国で準優勝した学年です。渡邊凌磨(アルビレックス新潟)とかがいました。同じ学年の主将はDF樋口慎太郎(専修大卒)で、ボランチの佐藤祐太(YS横浜)がプロになりました。僕自身は高校時代は全くレギュラーではなく、カテゴリーも下でした。群馬県リーグは1部から4部まであり、前橋育英から1チームずつ出るのですが、2部で何とか出させてもらっていました。

――ポジションは
 サイドハーフです。渡邊も同じポジションでしたが、同じチームで争ったことはありません。3年生になると朝練が毎日、ランニングでした。3年生だけ全員、体育館で。チャイムが鳴るまで体育館の200mぐらいのコースをずっと走っていた印象が残っています。でも今思えば、前橋育英に入って本当によかった。大勢の部員の中でしかもほとんどの選手がレベルの高い選手ばかりで、3年間サッカー漬けの生活。とても刺激になりましたし、技術も自然に上達して、僕にとってとても大きな収穫です。

――当時から耳の調子はよくなかったのですか?
 幼稚園のときに難聴に気づいて、そこから補聴器をつけています。補聴器をつければ会話ができますが、外したら聞こえづらくなる。ただ、(前橋育英の)監督には耳が聞こえづらい、とは言ってません。言いたくないというより、言う必要もないのかなって思って。チームも(障害があるないに関係なく)1人の選手として接してくれました。

相手を抜き去る鎌塚(左)

――卒業後もサッカーを続けたのですか?
大学(大東文化大)でも続けたかったんですが、セレクションで落ちてしまったんです。正直、受かると思っていたがダメでした。だいぶ、落ち込みました。

――そこでサッカーをやめようとは思わなかったのですか?
 純粋にまだボールを蹴りたい、という思いがあったので、埼玉県の社会人リーグでやらせていただいていました。ただ、大学3年生でキャンパスが都内に変わってしまうのでチームの練習に参加するのが厳しくなり、サッカーをやめて、フットサルをはじめました。群馬県1部のベルファーダというチームでお世話になりました。

――イタリア行きはどうやって決まったのですか?
 以前から海外に行きたいと思っていて、サッカー留学をあっせんする会社(ユーロプラス)に相談していました。ユーロプラスさんは特にスペインとイタリアに太いパイプがあって、スペインは現状、クラブがなくなったりして給与や生活面を考えると安定してプレーしづらい面があったのでイタリアに決めました。1年目の昨年はセリエCのオルヴィエートFCとプロ契約しました。2年続けて同じクラブにいるつもりはなかったので、現地のコーディネーターに相談して今季からフットサル・カペッツォに移籍しました。去年より明らかにチームのレベルが高く、いい刺激になっています。自分よりレべルの高い選手と一緒にいると、明らかに成長しているのがわかって楽しいですね。

――随分、アグレッシブですね。
 イタリア来るときも、励ましてくれる人はいた一方で「行っても成功しない」とか「どうせ無理」とか言われました。だから逆に「絶対に結果を出してやる」という気持ちになりました。前橋育英を卒業した人はほとんど有名大学でやれていますから。

――今はどんな生活ですか?
 練習場はイタリアのボローニャ空港から車で1時間弱のところにありますが、住まいは練習場から約15分のところにあるクラブ関係者の家で生活しています。一軒家ですが、一階で分かれているので家では自分ひとりです。

――イタリア語は以前から話せたのですか?
 いえ。イタリアに来てから勉強をはじめました。街のカフェに行ったりして、生活の中で覚えています。試合中、監督とかが怒ると早口で全然言葉がわからないので単語、単語で聞き取るしかない。他の選手とも自分から話しています。やっぱり伝える気持ちが大事かなと。ピッチ上でいいパフォーマンスを残したとしても、言葉の面(の問題で)継続的に起用されないこともありますから。


――イタリアのフットサルクラブの報酬はいかがですか?
 詳細は言えませんが、Jリーグの選手の水準ではない。ただ家賃などは払わなくて済んでいるので、別の仕事をしなくても生活できる環境です。

――イタリアのフットサルのレベルはいかがですか?
 僕がいるセリエCは、関東一部か二部と言われています。イタリア代表選手はいません。(3段階上の)セリエAになるとかなりレベルが高い。チーム外国人枠は1人で、僕のクラブは僕だけです。チームは今、5位で、僕は最近は先発ではなく、途中出場が多いですが、20試合に出て8ゴールをあげました(2月25日現在)。残り6試合です。

――イタリアに来て一番鍛えられたことは?
 メンタル面だと思います。最初は相手にしてくれませんでしたが、結果を出せば信用してくれる。試合中、普通に引っ張りまわされたり、(プレーが止まった後の)アフターで平気で蹴られる。これは日本ではなかなか味わえません。全体練習は夜に週3日ありますが、僕は毎日ジムに通って、イタリアに来て5㎏増えました(176cm、75㎏)。苦労もありますが、今は純粋にフットサルを楽しむことを忘れないようにしています。

――まだ挑戦しよう、という気持ちは芽生えませんか?
 最初から2年と決めていました。大学を休学してイタリアに来ていて、その期限が今年までなんです。4月からは大学に戻りますが、チームはまだ決まっていません。

――そのためにも日本代表に呼ばれたら、活躍は不可欠ですね?
 今プレーしているイタリアでも一緒にやっているのは健常者で、日本代表に呼んでもらったらデフの方と一緒にプレーすること自体、初めてです。正直、不安もあるんですけど、周囲とうまくコミュニケーションをとれるようにしたいです。個の部分で自信がある。1対1や球際で、チームに貢献したいです。W杯でも活躍したい。僕にとって高校3年間が大きかったので、何か恩返ししたいんです。前橋育英の(山田耕介)監督だったり、コーチの方に頑張っている姿をお見せしたいと素直に思います

(取材・文 林健太郎)

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