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「世界に勝てるところを見せたい」ブラサカ日本代表戦士が天国の「恩人」に誓った決意

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出迎えに来た関係者に挨拶する日本代表。右から2人目が黒田、左から3人目が佐々木

ブラインドサッカーアジア選手権で3位に終わった日本代表が6日、帰国した。準決勝で日本がPK戦の末敗れた中国がイランを下し、アジア王者に輝いた大会が幕を閉じた翌日。新宿駅で2日に事故で亡くなった元日本代表の石井宏幸さん(享年47)と深い交流のあった黒田智成が、はじめて故人について語った。

「タイでニュースを聞いてびっくりしました。石井さんとは、日本代表として初めて遠征した2002年の韓国遠征も一緒に行ったんです。(悲報に接して)思い出したのは、僕がはじめてブラインドサッカーの試合に出たときに、PK戦勝ったんですが、石井さんが決めて勝った光景です。石井さんの熱さで日本のブラインドサッカーが広まっていったし、貢献度は本当に大きいと思います」

 石井さんは失明したのは28歳の頃。見えなくなってから間もないタイミングでブラインドサッカーに出会った。見えている人が見えなくなると普通は不安が先行するが、石井さんは競技が日本に広まりだしたころに関西の大阪や兵庫で練習会が行われると聞くと、恐れることなくひとりで新幹線に乗って、練習会に参加していたという。黒田が続ける。

「ブラインドサッカーに熱い人がいるんだなと。その情熱を教えてくださった人です。協会発足にも尽力された。その行動からも熱さを感じました」

 今回のアジア選手権で日本代表の大会1号ゴールをあげ、チームに勢いをつけた佐々木康裕にとってもクラブの先輩にも当たり、動揺を抑えるのに必死だった。

「まさか、という感じで……。ショックでしたが、大会中だったのでどう切り替えて整理すればいいかわからなかったんですが、石井さんが築いてきたことに応えるためにも試合に集中しようと。普段はすごい穏やかでしたが、『これをやりたい』と思ったら突き進む意思の強さを感じました」

 石井さんは現在も続いている日本選手権(現在のアクサ・ブレイブカップ)の立ち上げに尽力した。43歳になってもなお、どん欲にうまくなろうとする佐々木の向上心は、石井さんの熱きハートが受け継がれたものだろう。

 石井さんが亡くなったことが公になった直後に行われたのが5日の準決勝、中国戦だった。その試合で2ゴールをあげて、金メダル候補の強豪国をおいつめた黒田が、日本代表選手の思いを代弁した。

「中国戦は石井さんのためにもゴールを決めたいと思っていた。石井さんがゴールに導いてくれたかなと思います。石井さんは、自分たちが勝って活躍することを、きっと喜んでくださる。パラリンピックでは、日本が世界とここまで戦えるようになった、代表が勝てるようになった、ということを見せたいです」

(取材・文 林健太郎)

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