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2度目の選手権を終えて…明桜の佐藤拓海主将が3年間で紡いだ「指揮官」「同級生」「後輩」への想い

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明桜高(秋田)の主将を務めたFW佐藤拓海(写真協力=高校サッカー年鑑)

[12.31 選手権2回戦 明桜高 0-1 飯塚高 柏の葉]

 かつて国見高(長崎)や神戸U-18(兵庫)のコーチを務めて日本一を経験している原美彦が、明桜高(秋田)の監督に就任したのが2018年。前年は選手権県予選の準々決勝で敗退していたチームを初年度に決勝まで導くと、3年目となる2020年には旧校名の秋田経法大付高時代以来、27年ぶりに選手権出場を決めた。その2020年の大会で、1年生で唯一先発出場をしていたのが、現在主将を務めるFW佐藤拓海(3年)だった。

 中学年代はベガルタ仙台ジュニアユースに所属していた佐藤は、チームメイトのFW藤山成弥(3年)と「同じ高校で2人で切磋琢磨して全国を目指す」という目標を持っていた。そんなとき、原監督から熱烈なラブコールが届いたという。「(2007年に)明桜という名前に変わってから一度も全国に行ったことがなくて、『歴史を作りたい』と言われました」。指揮官の熱意に「新しいことを目指しているチームなんだ」と感じた佐藤は、藤山、MF飯島健斗(3年)とともに、ベガルタ仙台ジュニアユースから明桜への進学を決めた。

 1年次に見事選手権出場という目標を果たしたが、その後は順風満帆ではなかった。100回大会となった昨年は県予選決勝で秋田商高にリベンジを許し、選手権への切符を逃してしまった。

「自分のことしか考えなかった子たちばっかりだった」。原監督は現在の3年生、そして昨年卒業した代をそう評する。それでも「うまい選手じゃなくて、チームを勝たせられる選手が本当にいい選手だということ」を選手たちに繰り返し伝えたという。そこには、選手たちの未来を危惧する指揮官の想いがあった。

「あくまでも高校3年間なので。彼らは大学でもサッカー続けていくし、そのプロセスの中で、心の部分をしっかり身につけていかないと。うまい選手がたくさんいる中で、そういう部分が足りないとのびない、というところがある」

 そんな原監督の想いが伝わり、佐藤は人間としての成長があった3年間だったと回想する。「1年生のときは問題が多かったんですけど、3年生になってからは問題も起こさずにサッカー一筋みたいなところはありました」。学校生活の中でも迷惑をかけていたというが、次第にサッカーに集中できるようになっていった。

 ともに成長していった同級生に対し、佐藤が伝えたかったのは感謝の気持ちだった。

「監督は命令とか指示をしないで、『自分たちで考えろ』と言うんですけど、自分のわがままで3年生をバラバラにしてしまったりいろいろあったんですけど、最後まで一緒にサッカーを続けてくれて本当にありがとう」

 ベガルタ仙台ジュニアユースから明桜に進んだ3選手のうち、佐藤、藤山は最後の選手権でフル出場を果たしたが、飯島は登録メンバー30人には入っていたものの、前十字靭帯を負傷しベンチ外となっていた。ミックスゾーンで取材を受けている間も佐藤の荷物を持って待っている、中学時代からの盟友を「いつも自分の側にいてくれた」と感謝する。

 5回目の出場で挑んだ選手権初勝利という目標は、後輩たちに託されることになった。自らを律する。佐藤は全国で勝つために必要なことを、3年間で学んだ。「最後の甘さはやっぱり日常生活から出ると思いますし、そこを本当に後輩たちには伝えてきたいです」と力を込めた。

(取材・文 奥山典幸)
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