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“文武両道”広島大FW酢谷元哉が全国初ゴール「とにかくサッカーのために勉強してきた」国立理系志望で1浪経験、中国大学L26ゴールで得点王、卒業後は技術職の道へ

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カメラにガッツポーズする広島大FW酢谷元哉(4年=西尾高)

[12.10 インカレ2回戦 広島大 1-3(延長) 仙台大 保土ヶ谷]

 国立大学で学び、サッカーで全国大会に出る——。1年の浪人生活を経て広島大に入学し、“文武両道”を貫いてきたストライカーが、大学サッカー最後の試合で大きな結果を出した。

 広島大FW酢谷元哉(4年=西尾高)はインカレ2回戦・仙台大戦の前半16分、MF倉惟雲(3年=桃山学院高)からのスルーパスに反応し、最終ラインの背後に抜け出した。後方からは山形内定のDFDF相馬丞(4年=山形ユース/山形内定)が追っていたが、冷静に背中で制しながら右足でシュート。最後はGKと反対のコースに蹴り込む余裕も見せ、これが全国大会初ゴールとなった。

「自分はディフェンスラインのギリギリで抜けるのを得意としていて、いいタイミングで惟雲が出してくれたので決めるだけだった。DFにフィジカルで勝てるとは思っていなかったので、まずは相手よりも一歩前に入れればペナルティエリア内なら最悪PKになるかなと。キーパーも右に動いたのが見えたので、あとは左に流すだけだった」(酢谷)

 広島大は今季、26年ぶりに中国大学リーグを制し、2年連続でのインカレの出場権を獲得。24年ぶり出場の昨季は初戦で敗れたが、今季は1回戦で夏の総理大臣杯王者の富士大(東北2)を倒すという快挙も演じていた。

 そうした中、今季の中国リーグ26ゴールで得点王を獲得した酢谷だったが、全国初戦ではノーゴール。ボランチのMF中村蒼(3年=帝京長岡高)がハットトリックの大活躍を見せていた中、悔しい思いもあったという。

「初戦は決められるシーンがあったのに決められなくて、アシストはできたけど、こうやって(取材に)取り上げてもらえるにはゴールだなと思った。中国リーグ得点王として全国でも絶対に決めないといけないと思っていた」

 ゴールを決めた直後には、近くに並んだカメラマンに熱いガッツポーズを披露。たぎるモチベーションを表現していた。

 ところが広島大はその後、全国経験豊富な仙台大に押し込まれる時間が続くと、1-0出迎えた後半22分に空中戦から失点。延長戦でもセットプレーから2点を追加され、全国挑戦はベスト16で幕を閉じた。試合後、酢谷は「もっと上に行きたかった」と悔しさを見せていた。

 それでも4年前を振り返ると、酢谷は想像もできなかったステージに立っていた。

 2001年早生まれの酢谷は20年、1年間の浪人生活を経て広島大工学部に入学。高校時代には私立のサッカー強豪大からも推薦入学の声はかかっていたが、文武両道を目指し、一般受験を決断した。

「自分の成績で目指せるところかつ、全国大会を狙える1部リーグに所属しているのは広島大学だけ。グラウンドも人工芝になることが決まっていて、良い環境でサッカーができるということで選びました。現役の時はサッカーばかりやっていたので全然勉強していなくて落ちたけど、浪人の1年間は『絶対に自分が広大でサッカーをするんだ』というイメージをしながらやっていた。しんどい時も受験勉強を頑張れました」

 そうした学業との両立は入学後も続いた。授業コマ数の多い工学部では、終業時刻がサッカー部の練習開始と同じ午後4時半。時には午後5時50分まで授業があり、急いで練習場に向かったとしても、トレーニングは6時30分に終わるためほとんど全体練習に参加できない日もあったという。

 それでも全体練習後に自主練を重ね、サッカーに向き合う姿勢は忘れなかった。入学初年度はコロナ禍で1回戦総当たりの開催となった中国大学リーグでルーキーながら3ゴールを記録。2年目は8ゴール、3年目は得点ランク3位の14ゴールと成績を上げ続けると、今季は2位に10点差をつける26ゴールで得点王を獲得した。

 その活躍の裏にはあったのは「しんどくても、とにかくサッカーのためにと思って勉強していた」という強い覚悟だった。就職後は地元の愛知県で鉄鋼業の技術職に就く予定で、「ここまでの形ではサッカーをやる予定はない」という酢谷。それでも、サッカーにつぎ込んできた熱意と努力の跡は次のキャリアでも大いに活かされるはずだ。

(取材・文 竹内達也)
●第72回全日本大学選手権(インカレ)特集
竹内達也
Text by 竹内達也

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